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小池新党はなぜ国政政党にはなれないのか

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今回は日本ファーストが国政政党になれない理由について書く。

都民ファーストの会に所属する議員たちがアンケートに答えないとして話題になった。最初は都民ファーストの会は個人の意見を重要視しないファシズム政党なのだなどと書こうと思ったのだが、あまり面白い話は書けそうにない。

そもそも議員たちがアンケートに自分の意見が書けないのはなぜなのだろうか。それは都民ファーストの会がすべての人たちの欲求を満たせないからである。例えば豊洲・築地の問題にはさまざまなニーズがありこれを全面的に満たす事はできない。このニーズをみると今の日本の政治の問題点がわかる。

  • 都民は誰かを叩きたがっているのだが、豊洲市場の問題そのものにはあまり興味がなく、関心には持続力もない。さらに政党を支えるのにお金は出さないし、継続して都政をモニターする意欲もない。例えば終戦直後には女性の普通選挙が認められたばかりということもあり、特に女性の間で地位向上のためには女性は政治を勉強すべきという機運があった。だが、今は単にエンターティンメントの一部になっている。
  • オリンピック利権を満たすために築地の土地は転売される必要がある。オリンピック利権に関心がある人は企業献金を通じて政治家を応援する意思がある。が、高度経済成長気と違って利権は他者に配分できるほど大きくならないので、都民に知られてはならない。
  • 豊洲に移転すると潰れてしまうであろう中小の仲卸の人は黙らせる必要があるが、体裁が悪いので、都民が忘れるまでは放置しておきたいし、できるだけ希望を長引かせるために幻想でもいいから夢を与えておきたい。
  • できれば先進のIT技術などを持った物流業者をかませることで政治的成果をあげたい。

これらをすべて満たすことはできないのだが、幸いなことに持続力に違いがある。最初は騒いでいる有権者はやがては飽きて騒がなくなるので、その頃に利益関係者を満足させてやれば良い。

これを「ずるい」と考えるのは自然な事なのだが、その気持ちをぐっと抑えて、そもそも有権者と利害関係者が一致しないのはなぜなのだろうかということについて考えたい。テレビのメタファーで考えるとうまく行く。視聴率を左右するのは一般視聴者の動向だが、実際にお金を払うのはスポンサー企業だ。これを政治に置き換えると、票を入れるのは有権者だが、実際に支えるのは利害関係者だということになるだろう。この差が政治を不安定なものにしている。視聴率が読みづらくなっているのである。

さらにマスコミにも別の関心がある。コンテンツとしての新鮮味だ。目下のマスコミの関心は小池百合子が安倍政権の受け皿になるかどうかということだ。だから「国政に進出するかもしれない」というお話を小出しにしておく必要がある。さらに、セミナーで政治家になりたい人たちを集めてくるという商売もやっているので、国政進出しませんとは言えない。単に都政の問題ということになれば「オワコン」になってしまうのである。

小池劇場は有権者の興味を引く話題を提供し続けている間はスポンサーを集めることができるので、新鮮な話題を次々に提供し続ける必要がある。そこで使われるのが「情報コントロール」なのだ。つまり、議員が発信できないのは、ファシズムだからではなく、情報をコントロールするためなのだろう。

新製品情報はまず「ティザー」という形で提出され、時期を見てお披露目する。これを「情報解禁」と言ったりする。このため企業の活動はすべて広報やPRでコントロールすることになっている。テレビにも情報解禁日というものが設定されている。こうして徐々に情報を出して露出を増やすとそれだけで「盛り上がった感」が出る。だから、一般社員に当たる議員たちがそれぞれ情報発信してはいけない。

こうしたことができるのは組織が小さいからだろう。組織がある程度大きくなり、また既存の議員が入ってくると、情報の統制はできなくなるはずだ。民進党のようにそれぞれの議員が単に目立ちたいからという理由で好き勝手に情報発信を始めればこのスキームはすぐに破綻するだろう。細野さんや長島さんは目立ちたがりで知られており、様々な思いつきをTwitterでばらまいている。だから小池新党は今のままではマスコミの関心を持続できないので国政には進出できないという結論になる。

こうしたことが起こるのはなぜなのだろうか。それは有権者と利害関係者が遊離しているからだ。つまり、継続的な支援などするつもりがない浮動票に支えられた政治勢力であるがゆえにある程度以上は大きくなれないのである。小泉自民党が劇場型選挙を行えたのは、実は自民党に支持者たちがいたからなのである。特に、小池新党に期待している民進党の人たちには現実的な基盤がない。日本の保守はファッションなので固定層がつかないと考えるのが妥当だ。

つまり、小池新党が国政に出て成功するためには、今いる議員たちがある程度まとまって支持をしてくれる人たちを一緒に連れてきてくれる必要があるのだが、実際には選挙で勝てる人はわざわざ政党を移らなくても良いはずだ。だから、風頼みの人たちが集まってくる可能性の方が高い。

さて、最後にファシズムについて見て行こう。そもそもファシズムには明確な定義はないようだ。イタリアに限ってみると、危機的な状況なのに諸州や左右派閥がまとまれないという苛立ちが背景にあったようだ。特に第二次世界大戦に参戦するかで揺れていたのだが、暴力的な手段も用いつつ戦争に突入したのがイタリアのファシズムである。現在日本の勝ち組である東京都にはこうした苛立ちは観測されないので、小池都政をファシズムと呼ぶのには少し無理があるのではないかと思う。

どちらかといえば「人づくり革命」という言葉を使って、<弱くてわがままな>人文科学を標的にしつつ、強い社会を作るための教育に動員するという安倍政権の方がファシズムに近いのではないかと思う。マネジメント能力が不足し、アカデミズムから反対の声が上がる。特に憲法改正問題については敵対勢力のように見えるのだろう。そこで安倍政権はアカデミズムを排除したい。だから、教育無償化を言い出して国がアカデミズムを統制できるようにしたいと考えている。

幸いなことに安倍首相のいう「人づくり革命」は奇異の目で見られており、今の日本にファシズムのような政治運動が発展する可能性は低そうだ。が、経済が行き詰まり、多くの人が大学に行けないなどということがあると、大学への敵対心が学術の国家統制に向かうかもしれない。

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