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実は重要な成長か分配かという議論

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安倍政権が誕生して「成長の成果を分配することでどちらも達成する」と約束してからしばらくたった。が、経済が成長する気配はなく、従って分配もない。だから、国民はなんとなく不安なままである。ここで、疑問に思うのだがそもそもなぜ成長と分配が比較されるのだろうか。「どっちも」ではいけないのだろうか。

答えを先に言ってしまうと、いけなくはないが、どちらも追求できている社会ではそもそも政府の役割はそれほど大きくない。政府が関与しなければならなくなった状態で「どちらも」追求するのは難しいのだ。

先進国では政府の役割を大きくすると政府の再配分機能が大きく働き、政府の統制が強い分だけ成長が犠牲になる。そこで政権交代が起きて成長志向の政府が作られる。これは規制緩和とほぼ同義なのだちうう。この対立を大きな政府、小さな政府という。

ところが、日本は第二次世界大戦後に西側資本主義経済に組みいれられたために成長か再配分かということを考えずにすんだ。成長が進めば経済が活性化し、自然に貧困者が減るのだ。ところが中国が資本主義経済に復帰してアジアの工場の地位を奪われると成長が目に見えて鈍化した。さらに別のニッチも見つけられなかったので、先進国の中では例外的な低成長に見舞われて現在に至る。さらに人口が減り始めて市場そのものの縮小が始まった。

ということで、安倍政権が成長を目指すなら規制を緩和するべきなのだが、規制緩和はほとんど進んでいない。外資は入ってこないし、生産性の低い企業も温存されたままである。岩盤規制を突破すると言っても、結局自作自演の規制緩和しかできなかった。

安倍政権の対立軸を作るには、安倍政権のやったことを批判しなければならない。批判をするためにはあるべき姿が見えている必要がある。だが、野党側にもさしたるビジョンはないので、いつまでも対立軸が作られないのである。これは日本経済が過去70年間政策決定をしなくてもやってこれていたことの裏返しになっている。日本で政権交代が起こらないのは、政策的対立がないからなのだが、これは何も決めてこなかったからだと言える。

そのため、政策に対する言葉の定義付けが曖昧になっている。例えば「分配」という言葉もよく意味がわからない。分配の主体は企業と国がある。企業の場合は生産によって作られた新しい価値を労働者と資本家に分配する。前者を賃金、後者を利潤というそうだ。一方、国の場合は社会保障費や税によって所得格差の是正が行われ、これを富の再配分などというそうである。先に述べたように日本では企業による分配がうまくいっていたために、それほど国の再分配機能が働かなくても問題にならなかった。

実際に再配分していたのは、家族と企業だった。夫が終身雇用の枠で働いている社会では、妻や子供は補助的な労働を行うだけでよく、最低賃金はそれほど問題にならない。最低賃金が問題になるのは、最低賃金レベルで世帯を支えなければならない人がいるからなのである。

ここで、格差の拡大がなぜよくないのかという問題がある。「貧しい人がかわいそうではないか」という反論が予想されるが、格差自体には倫理的な問題はないという議論があるそうだ。問題になるのは、貧困によって家計が維持できなくなる人が出てくるという点だ。

こうした人たちは消費者になれないし、将来の消費者を再生産するという機能も抑制される。こうして人口が減り始めると、市場が縮小し、従って税収が減る。全体の経済規模が縮小すると、通常の経済を通じた所得の分配すら行われないので、さらに貧困が広がり、市場が痛むというダウンスパイラルに陥ることになる。つまり、格差は悪くないが貧困層の広がりはよくないというのが、資本主義経済の基本的な考え方である。一方、共産主義などでは格差そのものがいけないと考えられる。

市場を拡大するためには、貧困や将来不安を取り除くという通路と、企業活動を活発にするという通路がある。伝統的には、政府が介入して所得を再配分するという方法と、規制をなくして経済活動を活発にするという手法があることになる。つまり、政府に格差をなくすという意図があってはじめて、どちらかを洗濯してほしいというプロポーザルが行われるということになる。

よく「民進党は対立軸を作るべきだ」という意見があるのだが、対立軸を作るためには、まず安倍政権が何もしてこなかったということを認めた上で、どちらか一方を行うべきだということを国民に訴えかける必要がある。そのためには直ちに現政権の攻撃をやめて、政策検討に入るべきだ。もしそれができないのだとしたら、政党を解散して、政策検討ができる枠組みを再編成すべきだろう。多分、保守か革新かというよりは具体的な枠組みが作られるはずである。

こうした成長か分配かという議論は実はイデオロギーではなく、経済成長を起こすためにどの程度政府が関与すべきかという程度の問題だということになる。これに正解はなく「塩梅」によるので、どちらか一方が固定的に政権を取り続けるということができないのだ。

ただ、このような政策が支持されるのはそもそも経済を成長させなければならないという前提があるからである。例えば貧困を放置してもよいと考えたり、格差をなくすために全てを国有財産にして国が平等に分配するという考え方を持っているのであれば、必ずしもどちらかを選ぶ必要はない。

政策選択してこなかった日本では「新しい」か「今まで通り」かという点で政党の揺り戻しが起きている。目新しい政策グループに飛びつき、そこが何もしないので、がっかりして古い政党に戻るというのがこれまでのパターンである。現在も安倍政権の受け皿づくりということが言われているが、安倍政権が何を失敗したのかということが明確でないために、結果的に受け皿づくりができないという状況だ。

嫌だから変えるのではなく、なぜ変えるのかという議論をすべきなのだろう。

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