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都議会議員選挙総評

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さて、先ほど日本人は競争が大好きで勝ち組に乗りたいと書いた。これを書いている途中で都議会議員選挙があり、小池都知事が圧勝した。やはり勝ち組に流れたというのが感想だ。

都民ファーストの会が55議席を獲得、続いて公明党が23議席を獲得した。これで過半数だそうである。自民党は議席を大きく減らし23議席となり、それに共産党の19議席が続く。民進党の議席数は5だったが、もはや民進党の存在感は無きに等しく勝ち負けの評価の対象にすらなっていない。諸派が2議席なのだが、フリーの人たちは誰も当選しなかった。組織に入っていない人たちは人間扱いしてもらえないのだろう。

安倍政権が国民に供与していた便宜というのは実は勝ち組幻想だけだった。中国や韓国に勝ち、みんなが過ごしやすい社会を作るなどと言っている弱腰な人たちを叩くことが「強い私たち」というイメージを与えるからだ。地方ではこの勝ち組とつながることが重要だと考えられているのでまだまだ自民党はそれほど大きく負けないかもしれない。だが東京にはこうしたニーズはないので、自民党が崩れるのも早かったのだろう。

安倍政権は民主党政権を叩き、共産党をバッシングしているだけで比較的高い支持を得られる。中国をやっつけるためにアメリカと協力するのだという幻想を振りまいてさえいれば、安保法制にもそれほどの疑念の声を持たられることはなかった。弱者を叩いて強い側に立つという幻想の上に成り立っているのだが、それに共感する人が多かったのかもしれない。

テロ等準備罪も、競争についていけなくなった弱者が政府に反抗するのを防ぐものと理解されたののだろう。そうした人たちは弱者であるがゆえに敗残者になったのだからいくら叩いても構わないのだ。

だが、東京では、自民党の人たちが勝ち組幻想に応えられなかったのだろう。どうやら土地取引などで利権を独り占めしているようだし、現在の状況について行けない年寄りの集まりのような印象があった。かといって一回失敗して弱者であるということがわかっている民進党を支持するわけにはゆかないので、仕方がなく自民党を支持していた。

そこに颯爽と現れたのが小池百合子だった。彼女には勢いがあり、英語を織り交ぜながら強い東京を取り戻す戦いに邁進している。争点を作るのが上手で男性の首相経験者たちとも対等に渡り合っている強さもあった。

詳しく見てみると、都民ファーストは「国民の生活が第一」のパクリだし、Make Tokyo Great Againもアメリカの真似である。このように単に強そうなものをコピーしているだけなのだが、それでも勢いがあるように見えれば良かったのだろう。過去に憲法を停止しろと言っていたそうだが、その時にはそれが強く見えて良かったというだけかもしれない。多分、あまりこれといった信念はなさそうだが、強く見えていればそれでいいのだ。

日本人はデモや議論を通じて懸念を表明しみんなが納得するような策を話し合うなどということはしない。成果は競争して勝ち取るべきものだ。が、あまり犠牲は払いたくない。そこで出てくるのが選挙である。これまで、表面上は東京都政に反対する人など誰もいなかったのだが、蓋を開けてみると、自民党都議団は歴史的な惨敗となった。自民党東京都蓮は時代遅れの弱々しい存在でありもはや省みる価値などないとみなされたのだろう。

日本人は極めて冷淡に過去に祭り上げてきたものを捨ててしまう。これは正月飾りに似ている。正月の間には手を合わせて祈っているが、古くなるとさっさと燃やして新しいものに取り替える。実は信仰の対象には価値などなく「あれは単なるわらでてきている作り物だ」ということを認識しているのかもしれない。

よく、小池百合子は一皮むけば自民党だなどと批判する人がいるが、それは違っているのではないかと思う。自民党は少なくとも東京では神棚から下されたわらの飾り物であって、もう何の意味もない。実は新しい飾りとして掲げられたのが都民ファーストの会なのだろう。

かといって都民は、せっかくできた新しい組織だから私たちが育ててやろうなどという感覚はないはずだ。育み支援するなどというのは女々しい対応だからだ。多分、失敗したら嫌になって捨ててしまうのではないかと考えられる。

面白いのが中央のマスコミの対応である。安倍政権が支持されているときに記者会見で表立って政権を批判するような人はいなかった。忖度しているなどと批判されたのだが、実は勝ち組に表立って意を唱えるなどということはしないのだろう。が、いったん「負け犬だ」という認識が広がると極めて苛烈なバッシングに発展した。最近の稲田大臣への追求はほとんどいじめのような状況になっているが、これは菅官房長官を追求した女性記者が脚光を浴びたことと関係があるのかもしれない。ありがたみがうすれて叩いてもいいんだという認識が広まると、公開処刑のようになってしまう。

一旦「叩かれる存在」になってしまうと、勝ち馬に乗っているという幻想が得られなくなるので、さらに支持者が減るという悪いスパイラルが始まるだろう。昨日まで自民党を礼賛していた人が、急に矛先を自民党に向けるというようなことが起こるのかもしれない。外から見るとそれは変節のように見えるのかもしれないが、実は競争が大好きな人たちにとってみれば極めて一貫した態度なのではないだろうか。

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