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豊田真由子議員と見捨てられ不安

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まとめ

  • 自分と他人の区別がついていない。
  • 他人との関係が崩れると自分の世界が崩壊してしまう。
  • コントロールへの異常な執着が見られる。

こういう人とは関わらない方がいいし、関わるなら最低限にした方がお互いのためだ。


対人関係に問題を抱えていた豊田議員

豊田議員の病的な絶叫を聞きながら、何が彼女をここまで変貌させてしまったのかを考えてみた。これまでの報道から、トヨタ議員がかなり早い段階から対人関係に問題を抱えていたようだ。対人関係の構築に問題があった人が政治という正解のない世界に身を置いてしまったことで病的な側面が拡大したのではないかと考えられる。有権者に見捨てられたら終わりだという強迫的な思い込みがあったようだが、もともとはお勉強をしないと親や先生に見捨てられるという不安の続きだったのではないだろうか。

こうした見捨てられ不安を持っている人は、同じ相手に異常に接近したり、逆に攻撃したりすることが多い。しかし、有権者には悪い顔はできないので、有権者への攻撃を秘書に転嫁したのだろう。これが人格障害なのかは議論のあるところだが、秘書が100名以上変わっているということはまともな社会的生活を営めなくなっているということなので、なんらかの治療が必要な状態だったと言えるだろう。

だが、考えてみると、こうした人は珍しくない。

対人関係に問題を抱えている人の共通点

例えば、自分自身をペットに投影する人もいる。飼っているペットを家族が大切にしないと言って突然怒り出すのだ。が、実はペットは単なる投射物になっていて、本来は家族が自分を大切にしてくれないと怒っているだけなのだろう。裏を読むと「自分を大切にしてほしい」という感情を表に出すことを禁止しているということになる。

また、相手を直接支配できないので部屋の掃除にこだわる人もいる。部屋の掃除は自分が思い通りにできる領域なので、相手をも支配できると思ってしまうのだが、相手を直接的に縛り付けることはさすがにできないと感じているのだろう。

本人の頭の中には地図ができているのだが、それが他人から見ると理解不能だというのが、この人たちの第一の特徴である。

と、同時にコントロール性についての問題もあることがわかる。豊田議員は秘書を支配できる存在だと思い込んでおり、それが期待通りに動かないと脚で蹴っていた。ペットは言葉を発しないので自分が思いのままに動かせると考えるのだろう。さらに、掃除にこだわる人は、掃除を通じて部屋や空間を支配できると考えているのだ。

こういう人たちは突然怒り出すという共通点がある。本人の頭の中では完全につじつまが合っているのだが、それは本人が作った地図に基づいているだけなので、他人からは理解不能である。

支配欲にかられるのはどうしてか

こうした人たちには支配欲求があることがわかった。が、それを含めた内的世界を他人に説明ができていない。が、果たして他人に説明できていないだけなのかという問題がある。

例えば、お掃除と夫のコントロールが大好きだった松居一代さんは自分の行動の動機をうまく説明ができなかった。つじつまが合わないので、これを見た人は精神疾患にかかってしまったのではないかと思ったようだ。

人間の頭には新しい脳と古い脳があると理解してみよう。古い脳はなんらかの行動原理で動いているのだが、これを新しい脳のルールが「不当に」押さえつけている。これに反抗する動きが「怒り」なのだろう。が、新しい脳は何に怒っているのかが理解できない。そこでつじつまが合わない地図がその場しのぎに作られているものと仮説ができる。

つまり、過剰に他人をコントロールしたがる人は、実は自分自身がよくわかっていないということになる。さらに自分と他人の間に線が引けていないので、他人が予測不能な動きをすると、世界が崩壊するように感じるのではないかと予想できる。それは、自分の手足が突然動き出して、何をしているのかがわからなくなるような感覚なのではないだろうか。

暴力的な支配欲を持っている人とつきあうにはどうしたらいいのか

こういう人は、自分の手足だと認識すると相手との距離が取れなくなる。だからできるだけ関わらない方がよい。が、どうしても関わる場合には相手との距離をきちんと線引きし、決して感情的な交わりを持つべきではないだろう。逆に線引きをすることで問題を単純化させてやったほうが親切というものだ。

冷淡に聞こえるかもしれないが、日本には「議員先生のために尽くせばいつかはわかってくれる」という独特の甘え文化があり、これがかえって依存的な関係を増長させてしまった。100人秘書が変わっても、それは改善されず、状況がさらに悪化した。豊田議員は苛立ちを募らせ、却ってあまり有能ではない秘書が次から次へと入れ替わるという悪夢のような状況が生まれてしまったのである。

誰かが「殴られたら運転はしません」と言っていれば状況は変わっていたかもしれない。有権者に失礼があったら自分は見捨てられると感じているわけだから、秘書に見捨てられたらやってゆけないということも学べただろうからだ。

つまり議員は二重人格なのではなく、有権者というコントロールが効かない人に対して感じた怒りを、従属物である秘書にぶつけることで秘書に依存しているだけなのであって、秘書はその投影物に過ぎないからだ。これを合理的なルートで問題するのは難しいのではないだろうか。

これは障害なのかスキルなのか

さて、ここまで豊田議員の問題を人格障害のように扱ってきた。が、これが生得的なものなのか、後天的なものなのかはよくわからず、したがって再考の余地がある。

例えば、対人関係はスキルだという考え方ができる。対人関係のスキルの測り方には様々なフレームワークがあるだろう。例えば、EQでは、自分の考えを伝える能力、自分のネガティブな感情をきちんと伝える能力(アサーション)、対人関係の問題解決力をスキルとして捉えており、後天的に獲得できると考えているようだ。

特にアサーティブさは、自分の不安を言語化して、消化するという意味では重要な能力だと考えられる。日本人は謙譲の美徳を持っており、これがかえってネガティブな感情の発露を妨げていると言えるだろう。だが、問題は言語化してみて初めて補足が可能になり、対応ができるようになる。

世の中が複雑化してくると、固定的な人間関係の中で親密なつながりを維持するのが難しくなってくる。アメリカで早くからこうした対人関係スキルの構築に関心が集まっているのは、日本よりも早く社会構造が複雑化したからだろう。日本のビジネスマンにとっても、対人関係スキルを磨くことは、より一層重要になるのかもしれない。

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