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わからないというのはどういう状態なのか

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政治についてのブログを書いていると政治問題について語っている人の声を聞くようになるのだが「一般の国民にはちゃんと伝わっていないのではないか」というような苛立ちの声を耳にする。だから、説明すればいいんじゃないかということになるのだろうが、実はその対応は考えものである。そもそも「わかっていない」ってどういうことなのかは、わかっている人にはわからないからである。

こういう時は、何かわからないことを勉強してみるのがよい。ということでファッションについて勉強している。ファッションについて勉強できる素材は豊富にあるので、もし情報が足りないことが「わからない」を解消するなら、多分数日でファッションがわかるようになるだろう。

が、ファッションがわからない人が、ファッション雑誌やWEARを見るとこうなる。

すべてのコーディネートがそのまま入ってくるので却って混乱してしまうのである。そもそも情報が多すぎてよくわからない。つまり、情報は少なすぎてもわからないのだが、多すぎてもわからなくなる。この図はまだマシなものだ。なぜならば本来は色がついておりテクスチャーもある。こうなるともうカオスだ。ファッション雑誌などは企業のタイアップが入るので、ますます混乱度合いが増す。WEARやPinterestはフォルダーを作って整理ができるので、似ているものを集めてみよう。

集めてみると、なんとなくまともになったが、これもよくわからない。なぜならば、何をもって似ていると判断しているかがよくわからなくなってしまうからだ。最初は色が同じようなものを集めていたのに、途中で形に注目したりするし、形に注目してもグラデーション状になっているので、何がどれと似ているのか途中でわからなくなり混乱する。

これを克服するためには情報軸を自分で決め込む必要がある。今回はトップスの大きさとボトムの大きさで分類した。

すると4つの類型ができる。上下が細いもの、上下が太いもの、片方が太いものの4つだ。これに「普通」が入るので、全部で5つの類型になる。さらにパンツの裾だけを絞って細さを追求したものが派生し、細いままで裾だけにゆとりをもたせて(いわゆるベルボトムみたいなやつだ)が派生する。つまり、自分なりに軸を作って並べて初めて全体像が見えるということになる。右下はスカートのような感じなので男性はあまりやらないファッション領域になる。つまり、この順列組み合わせがすべて成り立つわけではないということもわかる。

軸を作るということはつまり、その他の要素を捨ててしまうということである。つまり、情報の刈り込みが必要になる。もう一つ重要なのは、学習する人が自分で軸が作れないと、いつまでも全体像が理解できないということだ。

ファッション上級者は別の見方をしているらしい

では、ファッション雑誌が軸を作ってあげればよいということになるのだが、ファッション業界の人は多分軸が作れないのではないかと思う。例えばIラインとかAラインとか言う言葉がある。Iラインを基準にして、ボトムにゆとりをもたせたのがAラインなのだが、これを別の人が見ても「普通の」格好に見えてしまう。なぜならばそもそも標準が異なるからだ。

一昔前のジーンズにはもう少しゆとりがあった。バブル期に青春期を過ごしたような人から見るとこれが標準で、Iラインが「細く」見える。つまり、人によって基準となる場所が違うのだ。これを模式化したのが下の図だ。

基準点が異なっている上に、細い服を体をがっちりした人が着るとIラインではなくなってしまう。つまり、標準が移動するのでラベルがあてにならないのだ。例えばIラインに大きいジャケットを羽織るとそれがVラインになるという見方もあれば、Iラインに太いVラインを追加しただけだという見方もできる。こういうとややこしいのだが、単純化すると、熟達者は比較の中でものを見ているのである。

地図は作ることに意味がある

「上下のバランスをきちんと決めるとよいのだ」ということがわかると地図自体にはあまり意味がなくなる。さらに、これにテイスト(軍隊由来のものを持ってくるとか、白と青でまとめてマリンと呼ぶのか、アメリカ由来のものを持ってくるとか、いろいろな香りづけがある)を加えるのだが、これは付加的な情報だということになる。つまり、形が先にあり、次にテイストがくるという重み付けが「内面化」された時点で、だいたいのことが「わかった」ということが言える。そうなると、あとは、地図を片手にどこまでが許容範囲なのかとか、どれが一番ウケがよいのかということを探って行けばよいことになる。

これは地図を俯瞰で見るのか、あるいは特定の場所から見るのかというのに似ている。「わからない人」と「わかる人」が話し合えないのは、実は視点の違いにあるのではないかとも思える。

政治がわかる人とわからない人の違い

例えば、右翼・左翼は普遍的な定義のように見えるが、実は比較の問題であって、政治についてわからない人には意味が取れない。多分、自分の立ち位置があり、それによって右翼・左翼の定義はまちまちなのではないだろうか。現在の右翼・左翼というのは自民党政権から見た距離の違いでしかない。55年体制が基準点になっており、その中心から、どれだけ周縁に離れて行くかによって、感覚的に計測しているだけなのだろう。が、基準点もアクターも動いているので、世代によっては捉え方が異なるのではないだろうか。

顕著な例としては、自民党内部の権力闘争に負けて新天地である社会主義リベラルに移動した小沢一郎がいる。多分、今の人たちは小沢一郎は山本太郎と組んでいるので左翼だと認識しているのではないだろうか。が、田中派の人たちはもともと地方分配派なので、政治手法はあまり違っていないのかもしれない。当時のタカ派の人たちは中央よりやや右寄りだったが、今では主流派になっており。これを日本の右傾化と呼んでいるのだが、若い人たちにはピンとこない表現だろうし、そもそもそんなことに興味がない人にとってみれば「みんなが揉めているのだが仲良くできないものだろうか」くらいにしか思えないのではないか。

感覚的にわかる人と地図を作らないとわからない人

ここから、そもそも「わかる」ということはいくつかの別のことを指しているのではないかとい可能性が浮かび上がってくる。

例えば、ユングは世の中の理解を「感覚的なのか直感的か」で分類した。ルールを元に世界を理解する人もいれば、ディテールでものを見る人もいるというわけだ。ディテールで見る人には「自分が好きなファッション」があり、そのディテールを埋めてゆくことが世界を理解するということなのかもしれない。つまり、全体の地図が作れなかったとしてもそれほど「わからない」という感覚には陥らない可能性がある。

直感的にわかることとわからないこと

その他に、直感的にわかることと、考えなければわからないことというのがある。例えば、都議会議員選挙では、豊田真由子議員の件の方が稲田朋美議員の問題よりも大きな影響を与えているそうだ。自衛隊が政治的運動を禁止されているということはある程度歴史や法律の体系を知らないとわからないが、豊田さんの人格がちょっとおかしいということは誰にでもわかるからだ。

また、加計学園のように「誰かを贔屓している」というのは支持率を動かすが、憲法違反の疑いのある安保法制の問題はあまり支持率を動かさなかったという事例もある。これは「贔屓をする人は危ない」という経験的な理解が日本人の間に浸透しているからだろう。

これが「感覚的に物事を見ている」ということなのか、それともまた別の要素なのかはわからない。あるいは過去の経験則から判断の基準を作る人と、内面化したルールから未来予測をする人の二つに別れるのかもしれない。

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