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松居一代と精神疾患についての報道のあり方

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マツイ棒で有名な松居一代さんのブログが一部で話題になっている。ストーカーに追われているので逃げていたというのだ。これが精神疾患のせん妄症状にきれいに合致してしまったがために、具体的な病名をあげて松居さんは気が変になったのではないかという声が相次いだ。

実際にブログを読んでみた、確かに、明らかにおかしいと思う。死のうとしたのだが、追われていることに気がついたので死ぬことができないというのはそもそもつじつまが合っていないし、心の中から声が聞こえたなどと言っているのもどこか異常さを感じさせる。

が、それよりも壮絶に思えたのは過去の書き込みである。コメントにすべて応えなければならないと強迫的に思い込んでいるようで、徹夜して書き終えたという。明らかにブログに依存しており社会生活に困難が出始めている。しかも、その書き込みがすべて消えてしまったという。運営会社のアメブロのせいだと考えて、アメブロに抗議もしているようだ。

だが、こうした状態になったのはつい最近のようである。読み進めて行くと、花の写真、ラジオ体操、銭湯の写真など、普通の記事が多い。が、異常なところから読み始めているので「あれ、これはおかしいな」と思うところもいくつかある。

例えば死産した娘について言及している箇所がある。また、夫から車をせしめたという報道に対して「私が自分で車を買った」と主張している。経済的にはかなり混乱している様子がうかがえる。安いものに反応したかと思えば、車などには贅沢をしており、生活には困っていないと言っているのだ。

最近のニュースを調べてみると、夫が二時間ドラマを降板したとブログでほのめかしたことが話題になっていたようだ。もう一つは夫がNHKでの大きな仕事を受けるにあたり「スキャンダルはなしにして欲しい」と要請され、離婚を諦めたという話である。別居しているが籍は抜かないことにしたというのだ。夫との間に緊張があったことが伺える。

これを念頭におくとちょっと違った面も見えてくる。アメリカのトランプタワーを買ったという報道をこれを否定している文章がある。その時に「別荘を一生懸命に掃除していたが、そこで夫が浮気をしていたことがわかった」ので怒りでいっぱいになり、その後は別荘の購入を考えなくなったということである。

松居さんは夫に対する厳しい監視で知られていた。その裏には過去のトラウマと強い分離不安があったのだなということがわかる。一度裏切られているから強い不安を抱き、新しい夫も監視するのだが、それに息苦しさを感じた夫が却って離れてしまうといういたたまれない構図である。

そう考えると「サスペンス」と繰り返すところに執着心を感じる。つまり、単なる妄想とは違っているのではないかという見立てができる。妄想であれば、他人の同情を引くための演技ができるとは思えないのだが、文章をよく読むと注意深く書かれた箇所がある。まず「旅立つ」と仄めかし、途中で「死んでいる場合ではなくなった」といい、ハッシュタグで「死の準備」と書いてある。つまり、自殺を仄めかして誰かを心配させたいというような動機が見て取れるわけである。

が、一方で夫に対する恨みごとはブログには一切書かれておらず「娘さえ生きて産んでいれば気持ちがつなぎとめられていたのではないか」ということがほのめかされている程度である。書かれていないことには強い執着があるのではないだろうか。

つまり、巷で仄めかされているような病気ではなく、別の症状である可能性もあるわけだ。

が、ここで問題になるのは世間の偏見と実はあまり発達しているとは言えない精神医療だ。そもそも精神疾患には世間の偏見があり「そうなのではないか」と書いた瞬間に人格攻撃になりかねない。伝える側は、面倒だしよくわからないのでとりあえずそのことには触れないで記事を書くことになる。幾つかのネットメディアが松居さんのブログについて書いているのだが「追われていると書いてある」という表記になっており、何がなんだかわからない。が、このことが却って世間の偏見を印象付ける。

さらにお医者さんにかかったとしても、頭の中のことなので詳しいことはよくわかっておらず、とりあえず薬で状況を緩和してそれで終わりになってしまうことが多いのではないだろうか。つまり、誤診断であっても「症状がでないからそれでいいや」となりかねない。さらに症状がおさまらないと薬の量が増えるだろう。最終的には社会生活も送れないが、とりあえず症状はなくなったということになりかねない。

つまり、適切な診療が行われないから、精神疾患=社会生活不適合ということになり、それが世間の偏見を生じさせるという悪循環が生まれている。よくわからないから、報道はそれに触れなくなり、却って正しい知識も広まらないということになってしまうのである。

なんとなく「すべてをコントロールしたいがままならず、それによって家族が離れて行く」という状態が不安を生じさせているように思えるのだが、根本的なところが変わらないと不安はなくならないのではないかと思う。

掃除にこだわるのも過剰なコントロール欲求の表れだが、それを「良い奥さんだ」と持ち上げてしまっているので、症状を悪くすることになっているのかもしれない。つまり、不安からくる現象を頑張ってやってしまうのだが、それが根源的な不安を解消することにはならず、却って症状が悪化してから表面化しているのではないかと思うのだ。

松居さんの事例は、こうした不安を抱えた人間が「我慢して頑張った」末に人格の崩壊を起こしても、他者が何もしてあげることができないということを示しているのではないだろうか。気軽にカウンセリングして不安を打ち明けられるような仕組みが、実はこの国には欠けているのだと思う。

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