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なぜ日本人は説明責任が理解できないのか

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アカウンタビリティについて書いたところTwitterでコメントをいただいた。これについて考えていたのだが、かなり足元で補足が必要なのかなという結論に達した。アカウントという概念がよくわからないという人がいるのではないかと思ったのだ。

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試しにビジネス辞書を検索してみると次のような定義が出てきた。account forという言葉が訳せないせいで、なんともふにおちないかんじになんとも腑に落ちない感じになる。

The obligation(義務) of an individual or organization to account for its activities, accept responsibility for them, and to disclose(公開する) the results in a transparent (透明)manner. It also includes the responsibility for money or other entrusted property.

Read more: http://www.businessdictionary.com/definition/accountability.html

アカウンタビリティという言葉には日本語訳がない。一般的には説明責任と訳されているがあまりきちんと理解されていないようで、新聞でさえあやふやな使い方をしてる。一般的には「不祥事の釈明」に説明責任という用語を割り振ることが多いのではないだろうか。

なんだか、深淵で難しい言葉に思えるのだが、実はそれほど難しい概念ではない。実は企業経営では「説明責任」はよく使われる言葉なのだ。ちなみに英語のaccountは、単に証拠や説明という意味であり、日本語でよく使われる会計は派生的な用法だ。(英語の辞書ではこんな感じになる)経営を数字で説明したものがaccountなのである。だから英語で話を聞いても「説明するってどういうことですか」ということは議論の対象にならないのだ。

だが、自分にとって自明だったとしても受け手には受け入れられていないことがあるんだなあと感じた。これはコメントをもらわないとわからないことではあるのだが、少し反省している。

投資家はリソースを持っており、役員はそれを増やす能力(ケイパビリティとコンピタンスに分類できる)を持っている。どちらも単独では何の役にも立たないのだが、交換することで事業を行うことができる。が、情報が対象ではないので、投資を円滑にするために執行者の側に説明責任が生じるのである。

かつては投資家だけがステークスホルダーだったのだが、最近ではお客さん・従業員・出入りの業者などが含まれるようになっている。政治におけるアカウンタビリティは、企業の関係を有権者と政治家に置き換えている。税金を「投資だ」と考えていることになる。こうした人たちのことを「エージェント」と呼んでいる。。

利害関係が明白なら、アカウンタビリティという言葉を理解するのはそれほど難しくないはずだし、実際に日本の政治にも支持者と政治家の間に利害関係が存在する。

だが、エージェント・ステークスホルダー・ケイパビリティ・コンピタンス・エージェント・エグゼクティブなどの言葉にはぴったりの日本語がない。どうやら日本では「代理人たる執行者に何かをやらせて後で説明を受ける」という文化がないのではないかと考えられる。文化そのものがごっそり抜け落ちているので、アカウンタビリティという言葉が定義できない。しかし、説明責任という言葉自体はよく知られているので、いろいろな誤用が起こることになる。

安倍首相は自分の考えをだらだらと垂れ流しにすることを「説明責任だ」と本気で考えているようだ。また、マスコミ側も国会議員が秘書を殴ったり、浮気した時に「政治家の説明責任は」などという。これは説明責任という言葉がうまく理解されていないことから起こるのだが、背景には代理人システムが理解されていないという事情があるのではないだろうか。

もちろん、政治は単なる事業ではなく「より良い社会を創造する」というイデオロギーが含まれるのだが、そのイデオロギーを実現するのも事業なので、説明責任は単にお金の運用だけではなく、イデオロギーとの整合性を語らなければならない。がそれは企業経営でいうところの「ビジョン」なので、必ずしもアカウンタビリティがカバーする領域ではないかもしれない。

説明責任は政治家だけで完結するものではなく、それを誰が評価するのかというのが重要だ。西洋の民主主義社会ではマスコミが伝えて有権者が受け取ることになっている。が、日本でそれが成り立ちうるかどうかは別途考えた方が良いのかもしれない。集団性が強い文化なので「公共は成り立たない」という考え方もできるし、無党派層がこれほど増えたのだから、利益集団に頼った政治は行えないという考え方もできる。

だが、いずせにせよ「account」という言葉の背景にある代理人と情報の非対称性を理解しないと、いつまでも不毛な議論が続くことになるだろう。

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