ざっくり解説 時々深掘り

行政はなぜ情報を隠蔽するのか

Xで投稿をシェア

カテゴリー:

近隣地の土地の測量をやるので印鑑を持ってこいというお知らせがきた。発信元は知らない測量会社だ。この件を対応していていろいろなことを考えた。なかでも強く思ったのが、情報隠蔽が起きるとしたら、多分原因は役人の不正ではなく、人件費削減のせいだろうなということだ。つまり、お金がないから情報を隠すようになるのではないかと思うのだ。
今回は千葉市の事例なのだが、それでも行政は色々良くなっている。がそれでも現場はこんな感じだ。国は安倍政権であり、政権そのものが情報隠蔽の一員になっている。もっとひどいことが起きているのではないだろうか。
最近詐欺事件が横行している。「市が還付金があるから」などと民間業者が言ってくるのは大抵詐欺だということになっている。だから「自分は普段から気をつけている」という意識がある人ほどこうした文章を怪しげに思うのではないだろうか。
そこで市役所の土木事務所に連絡をとったところ、そんなお知らせは「知らない」という。そこで話が大きくなり、いろいろな人たちに話を聞いているうちにだんだん大きな話になってしまった。
実は「知らない」は事務所で長年許認可事務を担っていた人が退職してしまい嘱託になったことによって引き起こされていた。毎日は雇えないので週に3日だけくる。しかし、公務員の世界には「言われたことだけこなす」という悪癖が残っており、休みの日には「誰も嘱託が何をしているのかがわからない」という事態が起きているのだ。
さらにこの嘱託の人は昔ながらのやり方をしているところにも原因があるようだ。つまり面倒な実務は現場(この場合は認可を受ける測量事務所だ)に投げてしまうのである。もともと測量会社は自分の依頼主の土地と市道の境界線を確定したいだけなのだ。が、市にはついでに市道そのものを確定したいという気持ちがあり「周りの土地の持ち主にも連絡しておけよ」ということになったらしい。いわば丸投げなのだが、こういうことはよく起きているようだ。
だから測量事務所は市の名前を出して業務を肩代わりすることになる。もし測量事務所が何かしでかしても「民間業者が勝手にやったこと」にできる。
さらに、周囲の人たちも情報共有できない文化があるらしい。電話を受けた人は、電話の保留のやり方も転送のやり方も知らなかった。実務を知っているわけもなく「対応が面倒だ」と思った上長の人から「適当にあしらっておけ」と言われたのだろう。抵抗されると、理詰めで追い詰めざるをえなくなり、最終的には課長代理という人が出てくるまでになってしまったのだ。
突き詰めてゆくと人件費が足りないというところに行き着く。人件費は足りないのだが昔ながらのやり方をしていて、これが結果的に新たな問題を生んでいる。実務を担っていた人がやめたが新しい人を雇うこともできない。そこで業務が引き継げない。いよいよ嘱託の人たちが病気で働けなくなったら人材不足が露呈するのだろうが「今のところは大丈夫」という状態にある。
今回課長補佐という立場の人たちと話をしたのだが、それほどまずいことになっているという意識は持っていないようだ。徐々に削減が進んだために問題意識が生まれないのだろうし、なんとかするのは政治家の仕事という意識もあるようだ。問題意識がないので、例えば情報システムを使って情報の共有化を図ろうという機運も生まれない。
面白いことに、日本は表向きは民主主義社会なので、市民の側が民主主義や情報公開などという建前を振りかざすと役所の側も対処をせざるをえなくなる。普段からTwitterでは役人の隠蔽や政治家の言い逃れが流れており、追求の仕方もだいたいわかっている。安倍首相は思わぬところで民主主義教育をしてくれていることになる。後任がどこの党の誰になるかはわからないが、安倍首相が失った信頼を取り戻すのはかなり難しい事業になるだろうし、安倍政権が長引けば長引くほど信頼回復は難しくなるだろう。
今でも大抵の人は「お上の言うことは少し理不尽でも聞いておこう」と思うだろうが、例えばTwitterで政治ネタに常日頃からさらされている人が20人に1名でもいたら、かなり面倒なことになるだろう。
情報の隠蔽というと、政治家や役人が私服を肥やすために行うものだと思いがちである。少なくとも地方自治体レベルでは情報公開がかなり進んでいるので、大抵の犯罪行為は露見する。しかし、だからといって情報の隠蔽がなくなることはなさそうだ。人件費の削減が進んでおり、お互いに助け合う文化もないので、進退きわまった役人個人が不正を働いたり、手抜きをしたりして、管理責任を問われた管理職が「知らなかった」ということを証明するために、情報を隠蔽するようになるのではないかと思う。
今回個人的に経験した件では人が生き死にするということはないのだが、財産が失われたり、人がなくなったりするような事例では頻繁な情報の隠蔽が起こるのではないかと予想される。例えば自殺した生徒を巡って情報の隠蔽や判断停止が起こるのはもはや日常茶飯事になっている。背景には先生が忙しくなり競争に漏らされており、かつてのように生徒から離れた立場で生活を見守ることができなくなっているという予算上の制約がある。実は不正が起こるのは、お金の問題だったりするのだ。
しかし、情報隠蔽が増えれば、対処法を学習して「隠しているのではないか」と追求する人も増えるはずなので、コンプライアンスの維持はますます難しくなるだろうし、軋轢も増えることになるだろう。
さらに、黙って泣き寝入りする人と、うるさく言う人の間にはかなりの格差が生まれるのではないだろうか。自己責任で身を守る時代になってしまうのかもしれない。