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グラスノスチ – 情報公開と国家の崩壊

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安倍政権のように国家が情報を隠すようになると、どのような過程で国が崩壊するのだろうか、ということを考えた。正義感に燃えた市民が政府に対して抗議運動を起こし、最終的に国家が情報の隠蔽を謝罪するように思える。映画のようにドラマチックだが、もちろんそんな単純なことは起こらないようだ。
ソビエトは情報公開によって崩壊したことがよく知られている。ソ連の情報公開は「グラスノスチ」と呼ばれる。Wikipediaなどによると、グラスノスチの背景はつぎのようなものであったという。

  • 自己保身を図った官僚組織が原子力発電所の事故の情報をトップにあげなかったので対策が取れなかった。
  • 西側社会に負けかけていたソ連は改革を必要としており、知識人を巻き込む必要があった。

極めて単純化すると、情報の囲い込みは当事者から問題解決能力を奪うので、そこで外部の専門家の知識を集める必要が出てくる。そこで情報公開をしたということになる。
が、グラスノスチの結果、政府が隠してきた外交文書なども公開されることになり、東側の同盟関係は崩れ去ってしまった。また国内では共産党幹部が優遇されていたことが知れ渡り、体制への信頼が崩壊した。つまり、いままで隠していた分だけ知らされた時のショックが強かったのだ。
情報公開は東側を壊滅に導いた。外交的な信頼を失った同盟国が次々と離脱して行ったのだ。だが、東ドイツだけは少し違った経緯で崩壊することになる。東ドイツは例外的な分裂国家であり、イデオロギーだけが国家存続の拠り所だったからだという説がある。東ドイツの崩壊を体系的に捉えた理論を見つけた。ハーシュマンによると、国家が国民の期待に応えられなくなると2つの反応が起こる。

  • 退出:国家から逃げ出すこと。企業だとものを買わなくなること。
  • 抗議:国家に抗議すること。企業だと企業にクレームを入れる。

東ドイツは最初から国家に反抗的な人たちを国外追放していた。この退出はひそやかなものであり、国を揺るがすような騒ぎにはならなかった。しかし、いったん火がついてしまうと一人ひとりのひそやかな退出が表沙汰になり、あたかも政府への抗議運動のようにみえるまでになった。政府のスポークスマンの勘違いもあり、国民的な運動に発展してしまうと、最終的には壁を壊さざるをえなくなってゆく。東からの大量難民を恐れた西ドイツは、国家を統合する道を選んだが、結果的にはかなり高くついたようである。
退出が抗議に優先するのは、抗議のコストが高いからである。これはデモに出かけるのが面倒で、社会的にもどう思われるのかわからないということを想像すれば、比較的容易に受け入れられる。
東ドイツの人たちは西側の情報から完全には遮断されていなかったようだ。情報の入手経路は2つあった。1つは知識人の経路で、彼らはソ連のグラスノスチによって情報に接するようになり、体制への不信感を強めて行く。もう一つの経路はテレビで、こちらは昔から西ドイツのテレビをこっそり見ていたようだ。これらが呼応する形で、全体的な国家転覆運動へと発展したのだが、それは政府への抗議ではなかった。単に「国家を打ち捨てて出て行こうとした」だけなのである。そちらのほうがコストが低かったからだろう。
これをそのまま日本に当てはめることはもちろんできない。日本の場合は、情報隠蔽はまだ始まったばかりだからだ。皮肉な言い方なのだが、中央にはまだやる気のある官僚がいて情報が官邸に上がってきているから隠蔽ができるのだ。情報がコントロールできなくなるまでにはかなりの時間がかかるだろう。
情報を統制して「あったものをなかったこと」にするのが危険なのは、やがて各部門が自己保身のために情報を操作することになるからであると考えられる。さらに情報が歪められるようになると、やる気がある人たちがシステムから密かに退出することになる。だが、外には逃げられないので内側に引きこもるようになるわけである。現在の日本でも引きこもりは起きているが、大抵はひそやかなものであり、統計上はかなりの数に登っても、それが表沙汰になることはない。
これは一般国民レベルにもあてはまる。やる気のある人は海外の企業に転職するか、社会への貢献をそこそこにして、自分の趣味の世界などに引きこもることになるだろう。いくら能力を発揮しようとしても、政権が都合のよい発言をする人たちを優遇するので、努力するだけ無駄だからである。「一億層活躍」は「一億総動員」となる。つまり、仕方なくやらされることをみんなでだらだらとこなすという社会である。これは社会主義国の末期に似ている。
つまり、情報の隠蔽が直ちに国家の崩壊に結びつくとは考えられない。しかし、やがては崩壊することがわかっているのだから、それを未然に防いだ方が「賢い」ようにも思える。このままだらだらと衰退した上で、大きなゆり戻しを経験するのか、あるいは政権交代を通じて「合法的な安倍政権からの退出」を選択するのかは、国民一人ひとりの選択に委ねられていると言えるだろう。


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