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国際報道に直に触れるということ

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北朝鮮がまたミサイルを打ち上げた。今度は日本のEEZの中に入ったと言って大騒ぎになっている。そこで、英語で400kmの飛距離でどうやって日本のEEZに入るんだ?というTweetが流れてきた。どうやら打ち上げ地点から400kmでは日本のEEZには届かないらしい。
このニュースを見て、国際情報に直に触れるというのは「こういうことなんだな」と思った。考えを巡らせるうちに、これは社会への不信感につながるだろうなと思った。保守と呼ばれる人たちがまだ生き残っているのかはわからないのだが、もしいるとすれば今のうちに手を打たないと大変なことが起こるのではないかと思う。
地図を重ねてみてわかったのだが、国際的に流通しているEEZと日本政府が使っているものは違っているらしい。ご存知のように紛争地帯である竹島を巡って、韓国・朝鮮と日本の間に認識の差があるからだ。つまり、日本が主張するEEZは少し韓国側に張り出している。後になって、やはり竹島の北側に落ちたということがわかった。
日本政府の認識では日本海には紛争地域はない「はず」なので、そもそもマスコミは「日本が主張するEEZ」とは言えない。ということで日本の漁船が好きに操業できる地域にミサイルが打ち込まれたなどと主張するわけだが、実は竹島近海なので日本漁船が好きに操業することはできないのではないかと思う。距離を計測するのにGoogle Mapを見てみたが、Google Mapではリアンクール岩礁という聞きなれない名前が書いてあった。検索すると日本の郵便番号とウルルン郡(鬱陵島の一部と認識されているのだ)という名前が出てくるので、ここが曖昧な地域なのだなということがわかる。
このことはなぜ重要なのか。アメリカが日本を支援するにしても複雑な領土問題には巻き込まれたくない。つまり純粋な日本のEEZに落ちたのとは若干状況が異なるはずである。
日本のマスコミは日本のEEZ内にミサイルが打ち込まれたと言っているが、それは「日本が主張するEEZ内に打ち込まれた」ということにすぎないのだ。が、NHKをはじめとした日本の報道機関は、政府の言い分を右から左に流すだけがお仕事なので、この辺りの状況は伝わってこない。
あまりにもこういうことが続くので、NHKの報道を見た後で英語報道と比べることが多くなった。例えばこんなこともあった。日米会談では「北朝鮮制裁に具体的な方策をとる」ということで合意されたようだが、トランプ大統領は具体策については言及せずに「北朝鮮はとてもとても悪い」としか言わなかったようだ。具体的なアイディアはなく「ただ言っただけ」である可能性が極めて高く、安倍首相はそれに「乗っただけ」という可能性が高い。外交的には極めて無能な首相だと言える。
今回菅官房長官は「情報収集につとめて」て「制裁を強める」と言っている。つまり実際には日本には情報は来ておらず、聯合ニュースで後付けて知らされるということを告白しているのにすぎない。制裁の具体策もないので、つまりは形だけ強がっている姿を見せている。菅官房長官の会見は棒読みで、安倍首相の後継として若手からの期待が集まっているというから、もはや本気で政権を擁護するつもりがあるのかも実はよくわからない。
日本の報道がどこかおかしいというのは「実は安倍政権は情報の隠蔽を図っている」というような声高なものではなく、じわじわと「ああ、政府はその無策ぶりをごまかしてるんだなあ」ということが日常レベルで感じられるということだ。多分、積極的に信じたいことだけを信じる人は読売新聞やNHKのみを見るということになるのだろうが、それ以外の通常の知性を持っている人はやがて「何か変だな」と思うようになるだろう。いつのまにか政権を信じることが知的に劣っていることの照明になってしまうのだ。
例の、共謀罪をめぐる国連と日本政府の相違はこのブログに詳しく解説されている。日本は国連の言ったことを都合の良いように解釈して報道機関に流しているということがわかる。たいていの新聞社は(これは朝日新聞も含めて)国連側には確認せず日本政府の言い分をそのまま伝えている。産経新聞に至っては「日本はG7の事実上の議長国だ」と言いつのり、アメリカとヨーロッパ諸国の間にあったコンフリクトについては目をつぶっている。
このように情報というのは国を統治するための重要な装置になっている。恐ろしいのは当事者たちが「コントロールできている」と思っていても、外国からそれとは違ったソースがバンバン流れてきてしまうということだ。すると国民は政府の情報を信じなくなるが、代わりに信頼できるソースがあるのかもわからないという状態に陥るだろう。その先にあるのはみんなが信じたいものだけを信じて騒ぎ出すという世界である。
今、共謀罪が問題になっているが実は情報の透明性に一番の問題があるように思える。プロセスが可視化されておりあとから検証が可能になっていれば、ある程度の冤罪は防げるだろうし、間違いを正すことができる。しかし、現在の政府ではあった情報をあとでなかったことにするというようなやり方が横行している。しかしこれも状況次第で「いや、実はありました」となり、大騒ぎが起きる。
ついには政権が政権お抱えのジャーナリストを擁護するために性犯罪をもみ消したという話も出てきた。これくらいのことはやってくるのだから、警察のチェックを強化しないで権限だけを強めるのはどう考えても危険だ。百歩譲って共謀罪がテロ防止に役に立つと仮定しても、同時に警察への抑止力を高めるべきだろう。
こうやってボディーブローのように政府の信頼性が失われ、それが公への疑問につながる。もし、保守という人たちが日本にまだ生きているのなら、どうやって社会や公の信頼性を確保するのかということを真面目に考え始める時期に来ているのではないだろうか。


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