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安倍首相の憲法改正案のどこが悪いのか

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ツイッターのフォロワーの方が「言語化できないけど安倍の憲法草案には反対」と言っていた。そこで言語化してみようかなあと思ったのだが、面倒でやめてしまった。安倍首相が変えたい憲法の条項はころころ変わるし、自民党の憲法草案にもそれほどこだわりがなさそうだ。、いちいち反論していると疲れてしまうのである。
だが別の質問を見てちょっと違った経路から考えて見ることができるかもしれないと思った。質問は、Quoraにあった第一次世界大戦のあと日本はどうなったかというものである。いろいろと詳細を描きたくなるのだが、基本的な線は日本の民主政治が行き詰まってゆく中で、一番簡単なソリュションにみんなが傾倒していったというものだ。つまり、集団思考が起きてしまったのである。
つまり民主主義の行き詰まりというのは集団思考の始まりなのである。そして集団思考が起こると、問題についてうまく取り組めなくなり、集団で破綻して終わるのだ。
当時の日本の政治は論争を繰り返すが打開策はなかった。問題の本質は世界経済がうまく運営できないという点にあった。そこで金本位制から離脱してみたり復活したりなどということを繰り返していた。
そこで、人々は、新しい植民地の獲得や賠償金などで「成果」を挙げていた軍に期待するようになった。しかし、あとになって振り返ってみるとそれは出口のない特攻だった。集団思考に陥っていた日本は戦争をやめられず60%の軍人を餓死させ、沖縄を犠牲にし、広島と長崎が壊滅的な被害を受けるまで戦争をやめられなかった。つまり、軍の成果には実は出口なんかなかったのである。
この裏側にあったのが治安維持法だった。もともとは共産主義者を取り締まる目的で作られた法律だが、戦況が行き詰まるに連れて範囲が徐々に拡大した。つまり、日本は「戦争はまずいんじゃないか」とか「別のやり方があるんじゃないか」という意見を徐々に言えなくなってしまったことになる。政府の言論弾圧とも言えるのだが、実は出口を失っていて異論を排除していった結果、逮捕者が続出したということだ。だが、マスコミも一般庶民もそれに意を唱えなかった。我慢していたというよりは、軍がなんとか状況を打開してくれるはずだと考えて状況を黙認したのである。
日本はいま経済的に行き詰まりつつある。高齢化が進行しつつあり、国力が急激に縮小することがわかっている。今の水準で医療福祉を維持することはできなくなるだろう。ここでなんとかすべきなのだが、変化には犠牲が伴う。だから何も言えないのだ。
しかし現実を踏襲してゆくといろいろな矛盾が出る。だが、こうした矛盾を指摘されても「ご批判には当たらない」といって議論から逃げている。
だが、これを根本的に解決しようとすると誰かが面倒を引き受けることになる。例えば憲法第9条を文字通り迷って自衛隊を解体してしまえば、多分中国や韓国からの漁船が日本の海域を荒らして漁民を拿捕するようになるだろう。財政規律を守れば増税は不可避だが、これは経済を著しく冷え込ませることは明らかである。かといって医療費を削減すれば確実に地方で死者が増える。これがわかっているので、野党も新聞も解決策を提示しないのだ。
経済に関してはすでに取り返しのつかないことが起こっている。金融緩和政策を行って物価が2%上昇するまで政策を維持するとした。しかし、実際に物価が2%になると利払いなどでシステムが立ち行かなくなることは予想できている。実はこの間に増税などをして財政を均衡化させる必要があったのだが、単に予算が膨張するだけで終わった。黒田総裁は「誰がやっても出口戦略は立てられる」とうそぶいているが、これは「俺はやらないよ」という宣言にすぎない。
このまま経済に何も起こらなければ破綻することもないわけだが、実際には高齢化が着々と進行しつつあり、過去の蓄積を食いつぶしている。つまり砂時計から砂が零れ落ちる状態にあるわけだ。安倍首相はさまざまなスローガンを声高に叫びつつ、実は何も解決していない。しかし新聞はもうそのことに触れない。何をやってもだめだと思っているのだろう。
戦前の日本と現在の状況は全く違っているのだが、異論が抑えらて、それを国民が黙認しているという構図は同じものがある。つまり、問題はそれぞれの論にあるわけではなく、構造そのものにあると言えるだろう。だから、安倍首相を避難しても全く問題は解決しないのだ。だが、国民も実はこの状態を望んでいると言える。
破綻だけが状況を変えるのかもしれない。


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