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明日の種籾を食べ始めた政治家 – 教育と憲法議論

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安倍首相が唐突に「教育の無償化を憲法で実現」と言い出した。マスコミはだんまりを決め込んでいる。かなり近視眼的になっており、安倍対石破という政局絡みの話に持って行きたい様子もうかがえる。だがこの話をよくよく考えるうちに「政治家は明日の米を食べ始めたんだなあ」と思うようになった。教育は次世代への備えという意味合いを持っているのだが、それについて考える余裕がなくなっているのだろう。
少し調べると共産主義者がインテリ階層への迫害に近い行為も起きているようだ。こうした行為はかつての中国やカンボジアなどで起きており、国の競争力を大きく損なった。
今教育現場ではいくつかのことが起こっているようだ。

  1. 大学教育への国からの援助は減っていて、大学は人員を削減するか外部資金を調達する必要に迫られているようだ。
  2. 大学の教員から権限を取り上げて、学長など経営陣へと権限を強化する動きが起こっているようである。

教育への支出削減はバブル崩壊後粛々と進んでいて、安倍政権になって弊害が顕著になっているらしい。ここ数年Twitterなどでも「忙しくなった」とか「予算の申請方法が意味不明だ」などの怨嗟の声を聞くことが増えた。ただ自民党内も一枚岩ではないようで、河野太郎衆議院議員のようにTwitterを使って直接大学教員に呼びかける政治家出ている。
もう一つの大学教員の権限を取り上げるという方針だが週刊現代のコラムを読むと様子がわかる。教員が何を研究するのかを自分たちで決められず、大学側が独断で研究内容を決めることができるように変化しつつあるらしい。「決められる政治」の学術版だ。教員の非正規化が進んでいることもあり、論文数も減りつつあるという。大学は徐々に破壊されているのである。
自民党の教育改革に関する分科会の報告書は違和感のある文章で始まる。日本の教育が日教組による赤化するのを防ぐのが自民党の役割だと言わんばかりである。この中に「教授会自治の打破」という文言があり、学術会への敵対意識を垣間見ることができる。憲法学会のように自分たちに従わない学術会から権限を取り上げて言うことを聞かせようという野心があるのだが、もはやそれを隠そうともしていないのである。
この報告書の中には「大学でわけのわからないことを教えるより、何か役に立つことだけを教えろ」というような教養に対する無理解が見られる。が教養とは「自分で判断ができるようになる」ということなので、共産主義思考が強い自民党としては許しがたいのだろう。同じような態度は人権についても現れている。自民党は教育のみならず、健全な国民の批判意識といったものに対してもルサンチマンを抱えたかなり危険な政党になっているようだ。
憲法でやすやすと教育の無償化が宣言できた背景には、実は教育についての無理解があるのだろう。ゆえに大学が無償化されることには日本の大学は砂漠化していて職業訓練校のようなものになっているのかもしれない。大学に入ったと思ったら1年程度の基礎訓練を経てインターンとして企業に動員され、そのあとの2年程度就職活動をするというような世界である。
大げさに聞こえるかもしれないのだが、外国人労働力は「研修」という教育目的で海外から輸入されている。しかしその運用は民間に任され、実態としては奴隷労働に近い。人を育てるという発想はなさそうだ。
安倍政権が嫌いなので、こうした所業の数々がポルポト政権に重なって見える。ポルポト政権は知識階層を中心に国民をを虐殺した。エリートは自分たちだけで十分であると考えて、反抗する程度の知識を持っている人たちを根絶やしにしてしまったのだ。自民党の人たちの教員に対する「あいつらは左派である」というレッテル貼りがどうしてもこれに重なって見えてしまう。
このようにバイアスがかかっているので、冷静な判断はできそうにないが、読売新聞(読者が高齢なので教育など知ったことではないという人が多いだろう)を除く新聞で自民党が教育をどう扱ってきたかを検証してもよいのではないかと思える。自民党の支持者の人たちや保守を名乗る人たちは本当に日本の教育はこれでいいと思っているのだろうか。
それにしても、バブルが崩壊してからわずか数十年の間に坂道を転がっていくように状況が悪くなっているようだ。日本人は教育に熱心なので本来なら「明日の種籾を食べる」ようなことはしなかったはずである。このような状態をみるともう笑うしかない。

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