ヨーロッパと北米は春を告げるイースターの祝日を通過したばかりだ。そんな中フランシスコ教皇がなくなった。南米出身の異色の教皇だったが葬儀と墓標は質素にするようにと指示をして亡くなったそうである。
BBCによるとフランシスコ教皇は若い頃に肺の一部を摘出していたそうだ。2月ごろには肺炎で入院し一時は危険な状態にあったなどと報道されていた。このため退院後も容体が心配されておりミサなどには主催しないものと考えられていた。
ところが復活祭では聴衆の前に立ち、バンス副大統領との私的な面会もこなしており「かなり良くなられたのだな」という印象だった。
アメリカ合衆国は中南米各国の移民を追放しており人権上の強い懸念があった。バンス副大統領の訪問は私的なものであるとはいえフランシスコ教皇の強い意思と政治的な姿勢を感じざるを得ない。
だがこの頑張りが結果的に教皇の最後の活動となった。
教皇は生前から清貧を貫いており居所も質素なものだったそうだ。また葬儀は簡潔に行い、墓標も簡素なものにするようにと生前指示を出していたそうだ。
欧米では春を告げるイースターなのだが世界各地では紛争が続いている。ロシアは一方的な停戦を宣言したものの攻撃は続いていた。プーチン大統領はウクライナに停戦の意思がないと示すことでアメリカの圧力を和らげトランプ大統領に対してウクライナからの撤退を決意させたいと言う狙いがあったようである。
ローマ教皇庁はしばらく集団指導体制となりコンクラーベと呼ばれる秘密会議で次の教皇を選出することになる。コンクラーベの間、枢機卿たちは外部との接触を禁止される。外にいる人たちと接触した枢機卿達の間に争いが起きていつまでも教皇が決まらなくなることを防止する意味合いがあるそうだ。その間、全世界のカトリック教徒達は煙突からの「白い煙」を待つことになる。