東京都知事選で予想外の躍進を見せた石丸伸二氏が「再生の道」という新党を立ち上げたとしてニュースになっている。内容を見てみたが「これは政党と言えるのか?」と感じた。政策がないそうだ。
しかし、問題解決を重視せず情緒的なこの国では「政策がない」政党は意外と躍進するかもしれない。
東京都知事選に出馬し躍進した石丸伸二氏はこのところネット系番組への露出を増やしている。YouTubeでは穏やかな人柄が強調されており過疎地域の問題にも造詣が深いとわかる。「穏やかな人物像」からテレビのモンスターのような石丸伸二像はどこか作られた虚像なのではないかという気もする。
その石丸伸二氏が東京都知事選を見据えて「地域政党」を立ち上げる。再生の道という名前だそうだ。石丸氏はと議会選挙には立候補しないという。AKB48でいうと秋元康さんのような存在ということになるのかもしれない。
石丸新党は多選に制限をかけ政策は作らないという。「政策がないのが新党なのか」と言う気がする。仮に石丸伸二氏が都知事選への野心を持っているとすれば将来の支持母体づくりになるかもしれない。だがこのときに「政策はどうするのだろう?」という疑問も湧く。
しかし問題解決を重視せず物事を情緒的に捉える傾向が強い日本では「政策を作らないこと(問題解決を志向しない)」こそが成功の秘訣なのかもしれない。政策にこだわらず「わたしたちは現役世代の見方です」という情緒的なアプローチに政治資源を全振りできる。
例えば維新は石丸新党とのアライアンスの可能性を否定しなかった。
石丸新党に「政策」があれば維新の政策とバッティングする可能性がある。しかし政策はないので鵺(ぬえ)のような議員が生まれる余地がある。関東圏で伸び悩み「数さえ揃えば何でもいい」と考える維新はこうした鵺を歓迎するだろう。
制限を守る限り国政政党などへの所属を認めるとの方針には「維新であり、石丸新党でもあるという可能性を前向きに考えたい」と強調した。
維新、石丸氏と連携前向き 国民民主「見定めたい」(共同)
こうした「鵺政党」が生まれる背景にあるのが既存政党の伸び悩みである。
政党は本来「何らかの目的」を達成するための政治家の集まりだ。しかしものごとを情緒的に捉える傾向が強い日本人は「政策・心情」が自己目的化してしまう。また特定の政策を「偏り」と見てしまう傾向もある。
もともと都議会立憲民主党は「弱者に優しい政党」を目指していた。しかしながらこの目的を達成するために共産党・社会党と組んだことが災いした。当初の目的は部外者には理解されないうえに左派に対する有権者の蔑視感情もあり立憲民主党系無所属候補の蓮舫候補は得票を伸ばすことができなかった。このため国民民主党は「立憲民主党と協力すれば失うもののほうが大きい」として連携に後ろ向きになっていると伝わる。読売新聞は立ち位置がブレると説明しているが、保守=ちゃんとした政党・左派=ちゃんとしていない政党という情緒的なイメージが有るのではないか。
自民党も選挙互助会化している。3000万円の不記載金(いわゆる裏金)が問題になっている。都議会自民党は会計責任者を差し出して検察と「手打ち」をするようだ。会計責任者はおそらく罪を認めており「略式起訴」になりそうだ。議員の刑事関には問われないが裁判もないため「議員たちは裏金を隠している」という疑惑もグレーのままで残ってしまう。もはや議員でいることが自己目的化しており都民の信認を得るのは難しいだろう。
そんななか石丸新党はその「アンチテーゼ」をやっていればいい。多選を禁止し議員でいることが自己目的化しないようにとの提案をしている。
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