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芸能活動を続けられることになりました 中居正広氏側の発言に広がる反発

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中居正広氏の弁護士の作文が波紋を広げている。おそらくこれで中居正広氏の「芸能活動」存続は極めて難しくなったことだろう。そもそも中居正広氏のこれまでの活動が「芸能活動」だったのかにも疑問がある。

ただ、当ブログの関心事は地上波における政治報道のあり方だ。今回の組織防衛的な対応は地上波の言論機関としての地位を低下させ、結果的にSNSの無責任な言論の拡散につながるだろう。

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紀藤弁護士が「危機管理の観点からもなお書きは不要だった」と書いている。

捕捉をすると「主張」を提示するのが弁護士の役割であり「それをどう受け取るか」は受け手が決める。なお書きの問題点は「書き手」が情報をコントロールしようとしているという点にある。かつてジャニーズ事務所が情報をコントロールしてきた時代の名残であり、広告代理店の力を借りた「オールドメディア」たるテレビが得意としてた手法だった。

SNSの登場でゲームのルールは一変したと彼らは気づくべきだろう。

記事から「なお書き」を抜粋してみた。

  1. なお、示談が成立したことにより、今後の芸能活動についても支障なく続けられることになりました。
  2. また、このトラブルについては、当事者以外の者の関与といった事実はございません。
  3. 最後になります。今回のトラブルはすべて私の至らなさによるものであります。この件につきましては、相手さまがいることです。

まず1についての問題点はすでに指摘した。現在のルールでは「芸能活動が続けられるか」は受け手が決める。「テレビ局や芸能事務所が勝手に決めるな」と感じる人がほどんどだろう。この1にはもう一つの問題点がある。それは中居正広氏の「キャスター業」が芸能活動なのか?という点だ。

この問題を深堀りすると「そもそも芸能と言論をごっちゃにして扱っている」テレビ局の問題がでてくる。確かに中居正広氏が歌ったり・踊ったり・お芝居をしたりする活動は続けられるかもしれない。テレビのように万人が見るものではなく「お金を払って選択的に見る」芸能活動に対する支障は少ないのではないかと主張する人もいるだろう。

だが、言論活動や司会業は「芸能活動」なのだろうかという疑問は残る。現在のテレビは政治・時事を感情的感覚的に扱うことでこの境を曖昧にしている。つまりこの問題には答えがない。

2番目の文章は「フジテレビは関係がない」と言っているが、週刊誌ベースでは現在でも様々な報道が行われている。有名なタレントとのつながりが出世に影響するテレビ局において「上納」が当たり前だったという問題だ。

確かに「芸能」は生産活動の枠外に置かれており「多少の放埒さ」は容認されるのかもしれない。しかしながらこれが人権などを扱う政治・時事では許容されない。

  • 中居氏はそのどちらに軸足を置いているのか?
  • 例えばスポーツのように男性が見るものであれば、女を「カネ=経済力」で黙らせる人は受けいれられるのか?

など様々な論点が出てくる。

1番目と2番目を通して現在のテレビ局が「政治・時事」を以下に乱雑に扱ってきたのかがわかる。

3番目はこれとは少し違っている。「相手」の存在を盾にして「自分たちの営業活動を妨害するな」と言っている。これは単に「なんて狡猾な人なんだ」という印象を与える。

仮にテレビ局がYouTubeのような「何でもあり」の存在ならば「中居さんみたいな人がいてもいい」のかもしれない。しかし、これまでテレビ局は「自分たちは偏りのない公明正大な存在である」ことを根拠に逸脱を叩いてきた。自分たちは一貫して無謬で崇高な裁判官であり「逸脱」を多数派の側から批判する権利があるとみなし、それを根拠にCM枠を売ってきた。

我々が感じる居心地の悪さは「テレビ局とテレビ局に価値をもたらすタレント」だけは治外法権なのかと言うダブルスタンダードにある。

アメリカ民主党とバイデン大統領に対する批判の中でバイデン大統領がダブルスタンダードを振りかざすことで、環境・人権・民主主義と言った崇高な価値が「単なるキレイゴトにしか聞こえなくなった」と分析した。テレビ局が置かれているのもまさにその状況だ。

崇高な価値の「キレイゴト」化はトランプ次期大統領やイーロン・マスク氏のような「正論をぶっ潰し自分たちの要求のためには何でもあり」という人たちを生み出した。

日本のテレビ局は全体としては民主主義的価値を「おもちゃ」にしているが、それでも一部の部局はこの流れに抵抗してきた。しかしこの抵抗勢力もジャニーズの性加害問題に対して十分な抑止力を働かせることができなかった。結果的に被害は広範囲に及びBBCの介入を招いている。

テレビ局が視聴率市場主義に走り自浄作用を失うことは結果的に「何でもアリ」の言論を正当化する。問題を隠蔽し続け「私達は関係ありません」で済ませようとしているフジテレビの行動は極めて罪深いがそれを黙認する在京キー局も共犯関係にあると言えるだろう。

現在のテレビにSNSの混乱とそれに扇動される一部の有権者を糾弾する資格はない。

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