石破総理がトランプ次期大統領と面会できるチャンスが到来した。日本がこのままアメリカに依存して生きていくためには、トランプ大統領の機嫌を最大限に取る必要がある。国会の合間を縫って今すぐ「アポ」を入れるべきだろう。
個人的には日本とアメリカは対等でなければならないと思う。特にアメリカ合衆国の国際的地位は相対的に低下傾向にあるためアメリカ一極依存は危険な掛けになりつつあると思う。
ただ世論を見ていると日本人はマインドセットを転換するのが非常に苦手だ。不安になると協力して問題に当たるよりも縛り合いによって相互監視を強めるという厄介な傾向もある。国際情勢が不安定化すればするほど何も決められなくなりアメリカ依存が強まってゆくだろう。
であれば全力でトランプ氏にへつらうべきということになる。
孫正義氏がトランプ大統領と会見に臨んだ。大型投資を表明するためだ。孫正義氏は在日朝鮮人の家庭に生まれ民族名のまま帰化している。国家に頼らず独自の商才で今の地位を築いた。国家に頼れない欧米のユダヤ人が商才とネットワークで財をなしたのと非常によく似ている。つまり商売人は名誉を欲しがってはいけない。
トランプ氏は会見の場で「マサ」に対して投資額を2倍にするように持ちかけたが孫正義氏は断らなかった。
トランプ氏は孫氏に対し、冗談混じりにこの投資を2000億ドルにするよう呼びかけ、孫氏は笑いながら、やってみると応じた。
ソフトバンク孫氏、1000億ドルの米投資を発表 トランプ氏と会談(REUTERS)
ソフトバンクグループ(SBG)の会長兼社長を務める孫氏は、トランプ氏を「偉大な交渉者」と表現。トランプ氏から投資を倍にするよう迫られると、壇上で笑った。
孫正義氏、トランプ氏とそろって会見 米国への15兆円投資を発表(BBC)
BBCの記事は「孫正義氏は一期目のトランプ政権下でも同じような約束をしているが本当に投資できるだけの資金を持っていたのかは怪しい」と指摘している。
だがそんなことは重要ではない。
トランプ次期大統領は投資額など気にしていない。単に「交渉の天才である自分が大統領になったからアメリカの未来は明るい」と見せびらかしたいだけだ。つまり彼が欲しているのは名誉なのである。孫正義氏はそれがわかっている。だから「トランプさんにはかないませんなあ」といいつつ曖昧に笑っていればそれで良いと知っているのだ。
安倍昭恵さんとの面会を通じてトランプ氏は安倍総理に対して「今までほくそ笑んでいただろうが」と発言したことなどすっかり忘れているようだ。今では美しい記憶だけが残っており、不幸な目にあった悲劇の首相の未亡人を慰める優しい俺様という自己像を全面にアピールした。
トランプ次期大統領に「一貫した何か」はない。
おそらく日本に対するイメージも週替りなのだろう。数週間前はどうでもいい存在だったが今や日本は自分の名誉欲を満たしてくれる「良い存在」になっている。
だから「石破総理にも会ってやってもいい」と言っている。自分は偉大なアメリカ合衆国の寛大なリーダーと言う自己像に満足しているようだ。彼の言う「経緯」はおそらく「慈悲をかけてやっている」程度のものなのではないか。
トランプ次期米大統領は16日、南部フロリダ州パームビーチでの記者会見で石破茂首相に「ぜひ会いたい」と述べ、会談実施に意欲を見せた。来年1月20日の就任前でもあり得るとした。「日本の首相という地位に大きな敬意を持っている。彼が会談したいのであれば、私はここにいる」と語り、石破氏の訪米を待つ考えを示した。
トランプ氏、石破首相と会談意欲 就任前でも「ぜひ会いたい」(共同通信)
石破総理は大慌てで「投資団」を結成してアメリカに乗り込み
- 日本がアメリカに投資できるのは盤石な日米同盟のおかげである!
- トランプ氏を大統領に選んだアメリカ国民の選択は正しかった!
などと大げさにトランプ次期大統領を称賛すると良い。日本共産党などを除いて国会議員もおそらくは訪米には反対しないのではないか。
おそらくトランプ氏の態度は数週間後には変わってしまうかもしれないがSNS世論もそんな細かいことは覚えていないはずだ。
ただこのときに2つの阻害要因がある。1つは「対等な日米関係」にこだわる石破総理がへつらって見せられるだろうか?という問題だ。石破総理の愛想笑いはなかなか想像できない。
もう1つは外務省の過去の説明だろう。民間人には外交はできないという理由でスケジュールが延期されたことになっている。そもそもトランプ氏が法律など気にするはずはないが国内では「一貫性」を巡る議論が起きるかもしれない。
石破氏は今年11月に南米を訪問した際、帰国途中にトランプ氏との会談を調整したが、実現しなかった。日本政府によると、トランプ氏側から法律上の制約で就任前はどの国の首脳らとも面会しないと説明された。
トランプ氏、石破首相と会談意欲 就任前でも「ぜひ会いたい」(共同通信)
いずれにせよ誰かや何かに依存して生きるというのはこういうことだ。それに徹するならばそれなりの覚悟と度量が求められる。仮に本当に対等になりたいのであればやはりそれなりの出費と覚悟が必要だ。日本の問題は今ひとつそれを決めきらないということなのかもしれないが、どうせ決められないと考えるならば「だったら腹を据えるしかない」のかもしれない。
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