不思議な議論を見た。小野寺自民党政調会長が「なぜ学生が103万円まで働かなければならないのか」と疑問を呈したという。
主語を自民党にすべきなのか小野寺五典政調会長とすべきなのかは悩ましいところだが他人事感が滲み出ている。そもそもそんな世の中を作ったのは自民党政権ではないかと言う気がする。ボスである石破総理にしっかりと監督してほしいところだが総理自身もどことなく他人事感が漂う性格のように感じられる。
この記事を最初に見たのはYahooニュースに出ているFNNの記事だったが、時事通信が同じ内容の記事を書いている。
小野寺氏は「野党各党は壁を取っ払えと話しているが、根本、おかしいと思う。なぜ学生が103万円まで働かなければいけないのか」と指摘した。
103万円見直し「おかしい」 小野寺自民政調会長が講演で(時事通信)
当初、国民民主党が釣れた(補正予算に賛成した)のでもう用済みになってハシゴを外したのだろうと思ったのだが、そうではないようだ。三党で合意が成立しつつある。ただ、主語をよく見ると「税制調査会」になっている。
自民、公明両党は11日、国民民主との3党税制調査会長協議で、26年から子の年収上限を130万円に引き上げることを提案した。これに対し国民民主は、配偶者が働いても収入が150万円になるまでは控除が満額受け取れる「配偶者特別控除」と同じ、150万円への引き上げを主張。25年からの適用を求めた。
「年収150万円」に引き上げへ 学生バイト、103万円の壁―政府・与党(時事通信)
現在三党協議は幹事長レベルと税制調査会レベルで行われている。このため小野寺政調会長は「蚊帳の外」ということなのだろうかと感じる。この他人事感は「俺には関係ないもんね」という意識の裏返しなのかもしれない。
そもそもなぜ学生は働かなければならないのか。それは学生が貧困化しているからだろう。
学生の貧困化は半数の学生が奨学金を抱えて卒業するという統計によく表れている。日本学生支援機構の「令和4年度 学生生活調査」によると昼間部の学生の55%が奨学金を受給しているという。(記事は生命保険文化センターのもの)つまりかつての学生のように親に全額学費と生活費を出してもらうというスタイルが成り立たなくなっている。
ただし、不思議なことに大学進学率じたいは上がっているようだ。現在60%程度の学生が大学に進学しているそうだ。最低限大学を卒業して学位を取っておかないと満足が行く収入が得られないという前時代の意識が残っているのではないかと思う。
かつては大学に卒業すれば正社員としての仕事が得られた。そして、正社員になれば妻と子供を養い大学に進学させることが可能だった。この「社会常識」は変わっていないが実際の正社員は没落しつつある。今は専業主婦すら成り立たず妻も勤めに出る必要がある。
そもそも日本の産業全体が競争力を失いつつある。国内に残った小売・サービス産業などは非正規労働者に依存するようになった。つまり、4年製大学を卒業しても「かつてのような恵まれた正社員」にはなれない可能性が極めて高い。この非正規依存は間違いなく自民党が作り出した問題だ。
更に少子高齢化のために大学のニーズが減少し「大学も淘汰されるのではないか」と言われている。文部科学省の議論は錯綜している。みな大学に行きたがるので大学をL型・G型に分けたうえでL型は職業訓練学校にしようという議論があった。最近の文部科学省は「大学院を知のプロフェッショナル」育成の場にしようという目標を立てている。
国民の経済力が落ちているのに無理して大学に行かせる人が増えている。しかしその大学は実はかつての専門学校や高専くらいのクラスの学校である可能性があり、そもそも地域にはかつての正社員のような待遇を得られる職場もない。
文部科学省は大学院をかつての大学のような存在にしたいのだろう。だが、大学院を卒業しても「院卒は専門的すぎて使えない」と言われてしまう。経営者が大学院レベルの教育を受けていないために大学院人材を使いこなすことができないのだ。
かつて自民党は大蔵官僚出身の経済企画部門と分配部門が組み合わされた政党だった。ところが大蔵官僚出身の人達のまとまった塊がなくなり分配部門だけが生き残り「国の大枠をどうするか」というマスタープランが作れなくなっている。
結果的に政策立案の元締である政調会長が「どうしてこんなことになったんでしょうねえ」とあたかも他人事のように税制調査会の議論を揶揄するという不思議な状態になってしまっているのである。
問題は「マスタープランがない」ことなので当然自民党が下野しても問題を作り出している原因が消え去るわけではない。だからこそ野党も103万円の壁を動かすという制度論しか提案することはできないのだ。
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