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生産性と効率について考える

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先日NHKを見ていたら、女性が働くことの難しさについての特集をやっていた。男女が共に働いているのに夫は家事を手伝わない。さらに子育てでキャリアは中断されるのだそうだ。いろいろなことを考えたのだが、最終的にはちょっとへんな方向に着地した。
あんぱんを作っている国があるとする。あんぱんの作り手が一日中あんぱんを作っているのだが、これを売る人はいない。あんぱん工場に買いに行くのだ。そこで分業が起こる。売る人が出てくるわけである。さらにあんぱん製造を効率化する人がでてくる。あんぱんの製造が効率化されるとクリームパンを作る余裕が生まれ、さらに子どもを育てたり外であんぱんを食べる(余暇)時間が生まれる。これが「成長」である。つまり、分業は成長をうむはずである。ちなみにこれを国際的に展開したのが自由貿易論である。
保育もこの分業の一部だということが言える。つまり、あんぱんを作ったり売ったりしている人たちが、さらに忙しくなったの子育てを分業するわけである。
話を単純化するために、この国では全てのお金はあんぱんを売って得たものだとする。つまり、あんぱんが余計に売れるようになったので子育てを分業する余裕が生まれ、子育てを分業したことで効率がさらによくなる場合、保育の分業は正当化されるということになる。
しかし、実際にはそうはなっていない。現実をみると給与が増えていないにもかかわらず「子育て」という仕事が増えていることになる。ちなみに就業者数も増えていないので、明らかにみんな忙しくなっている(これも実は労働時間だけでは計れない。2つの仕事を掛け持ちしても労働時間は増えないが実感としては忙しくなったと感じるだろうし、24時間メールに返事をしなければならないとしても忙しいと感じるだろう)はずだ。
つまり、全体としては効率が下がり、生産性が低くなっているということが言えるだろう。子育てを分業してもあまり意味がないのは、これが効率化ができない仕事だからだ。病気になれば預かってもらえないので仕事が中断されるし、完全に機会化されていて100人の赤ちゃんの面倒を1人で見るということもできない。
ところが統計上は生産性はそれほど下がったことにはなっていないはずだ。番組の中には1か月に10万円を支払っている人の話がでてきたのだが、これは単純に10万円分経済が成長していることになってしまう。一人の雇用が確保されたことになる。ここから得られるのは単純な事実だ。つまり生産性の向上というのは、社会の効率化を必ずしも意味しないのだ。
売ったり効率化したりする人が正社員になっており、アンパンを作る人が非正規だということなのだが。非正規がそれほど必要なかったのは、成長に多くの資産を分配していたからである。もう成長しなくてもいいということになると、正社員は仕事をなくす。これが日本が経済成長しなくなった基本的な原理だと考えられる。だからといってこの人たちが経済から解放されて子育てや介護に戻ってくるということはない。なにか仕事を作っている。
アンパンを作るのは立派な仕事だが、実際にはどうやったらカレー味のあんぱんが作れるかという会議を開き、そのための先生役を引き受けたりした(つまりこれがコンサルタント)だけでも「対価」は発生する。これも統計的には生産性の計算式のなかに加えられるが、実際には効率が落ちている。中にはコンサルタントをまとめる会社を作ってそこの社長に収まった上で、一日中新聞を読んでいるという仕事もある。形式的には「責任をとる」のが仕事だ。
すると社会の効率が落ちるので、誰もあんぱんを食べる時間がなくなる。机であんぱんを食べるわけだ。すると「あんぱんが売れなくなった」という会議が開かれる。
いろいろと書いてきたのだが、一般の人が「生産性」という場合、社会の効率化を意味しているかもしれない。だが実際には「生産性」は投入した仕事量とアウトプットの比率のことを言っているだけなのだ。
どちらかの親が仕事をして、どちらかが家庭に収まった方が効率がいいに決まっている。また、仕事を3年程度離れても復職できた方が効率はよい。新しい知識を教えなくてもすむからだ。さらにコンビニは24時間営業でなく、きまった時間だけ空いていた方が効率はよいはずだ。その意味では明らかに社会は非効率になっている。だが、それは直観に過ぎない。それを改めて測った人は誰もいないのだ。


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