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新しい戦前は始まっている – お国のために死んでくれの萌芽

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先日Twitterを見ていて、かなりショッキングな記事を見つけた。軍事アナリストの小川和久氏の投稿だ。小川氏は先日来「アメリカ軍が不時着と言っているから不時着なのだ」と言い張っている人である。元テストパイロットの人が書いたFacebookへの投稿が貼ってある。概ね次のような内容だった。

オスプレイは構造上の難しさがあり操作が大変難しい。そんな中パイロット達は頑張って訓練を重ねている。だから周囲はそのことを理解すべきだ。

オスプレイを空中で揺れなくするためにはかなり高度な技術が必要なようである。印になるようなものが何もなく、常に危険と隣り合わせになるらしい。
投稿には書かれていなかったのだが、デメリットがあるにもかかわらずオスプレイが推進されるのはメリットがあるからなのだろう。費用が安くなるからなのかもしれないし、機動力の高さがあるのかもしれない。中国まで飛んで行けるので潜在的な抑止力があるという観測も目にした。
確かに、こうした意見には見るべきところがある。米軍は本島への被害を避けるために海に誘導したと主張しており、もしこれが真実であれば、この件は美談であるかもしれない。
さて、メリットがあるからデメリットも享受しなければならないという主張は正しいのだろうか。これは結果的に基地周辺にいる人に「墜落」のデメッリットを受け入れよと言っているのと同じことになる。今は沖縄だけなのだが、日本本土にも導入が検討されている。つまり、局地的に不利益を甘受すべきという土地が出てくる。つまり、これは突き詰めてゆくと、国益と同盟の利益のためにお前は我慢しろということになってしまうのだ。
これは戦前に「お国のために我慢しろ」というのと同じ理屈だ。現地の兵隊さんは頑張っているのだから、お前はヘラヘラするなということになる。大抵は全体の利益を考えてのことではなかった。地域や組織のマネジメント能力のない人が、この理屈を利用した。その技量の貧弱さを隠蔽するためだ。下手をすると略奪のための理論になったりもする。これが行き渡ったのが全体主義だ。
全体主義が横行する背景には、アメリカ軍の費用削減と中国の台頭が背景にあるのだろう。そのために潜在的な危険性のある技術を使わざるをえない。その不利益を被るのは意思決定した人たちではなく、沖縄、佐賀、宇部といった限られた場所に住んでいる人だということになる。だが、よく考えてみると、中国の台頭とうまく付き合えないのは日本の政府が影響力を行使する技術を身が入ってこなかったからである。代わりに金をばら撒き影響力を買おうとした。
こうした近視眼は軍事組織でなくても起こり得る。例えばデザイナーはデザインのためには製品が不便になってもよいと考えるし、プログラマはプログラミングが美しくなるためには機能が生解されるべきだと考えるだろう。たいていの組織にはこれを補正する仕組みがある。つまり、関係者によって利害が対立するわけで、これを調整するのが本来の「政治」である。
だが、米軍と沖縄の関係をめぐっては「政治」は機能していない。日本の政府が現地の利益を代表しないのは問題だが、米国政府も実は米軍をコントロールできていない。性的犯罪が横行しており、男性が男性にレイプされるというような事件さえ起きているのである。
軍隊に政治を期待するのは無理だ。もともと、個を捨てて全体に準じるのが軍隊であり(でなければ勝てない)軍人が政治的能力を磨くことはない。四軍司令官が机を叩くのは当たり前である。問題は彼が表に出てきてしまい、駐日大使をはじめとした人たちが一切表に出てこないという点だろう。政治が軍を傍観しているのである。
米軍はオスプレイには問題はなかったとして運行を再開する予定だという。オスプレイの安全への懸念を軽視しており「運行停止」は儀式だと考えている様子がうかがえる。考えてみればシステム全体で機能しているのだから、給油と飛行を切り離しても何の意味もない。日本政府はこれを正しく伝えて米軍に再考を促すべきだが、これまで米軍に追随し影響を行使する努力を怠ってきたためになにも言えない。これが国内に懸念を作り出し、結果的に日米同盟を危機に陥れていることになる。
日本政府の弱腰は結果的に国民に対する過度に強気な態度として現れ「憲法を改正して国民の発言権を弱めたい」という倒錯した願望となって露呈しているのだろう。