最近ブログのキャッチコピーを「テレビが信頼できなくなったら」と変えた。政治論評の世界が変わりつつあると感じたからだ。国際政治が緊迫化し日本の国会でも少数与党状態が作られた。
しかしYahoo!ニュースの国内アクセスランキング第一位は「丸山穂高、兵庫県元県民局長の公用PCデータとされる情報「全部見た」 「『そりゃ処分されるわ』という内容」」であった。政治言論がバラエティ化している。
最終目的は「政治言論の穏健化を進めてつつある程度参加意識も高める」ことだ。そのためにはこうしたバラエティ化から距離を置くか、あるいは「今ある現象」と認めて取り入れてゆくかで迷っている。どうすればいいか意見がある人はぜひ教えていただきたい。
記事の内容は丸山穂高氏が情報提供者からPCのデータを譲り受けてそれを閲覧したというもの。内容は開示せずデータを要約し「処分は適切であった」と結論付けている。内容は見ていないが、その気になればでっち上げは可能だと見る人もいるだろうしそこまで具体的に話はできないと考える人もいるだろう。
実際に丸山氏のYouTubeチャンネルを「見学」した。一つひとつのフッテージが長く「内容を見るのは面倒だ」と感じたので中身は見ていない。だがすでにコミュニティができており盛り上がっている。「ワクワクする」などというコメントに混じって「アンチは撃退してやる」などと書かれていた。積極的なブロックを行って自らフィルターバブルを作っているようだ。内容よりもみんなで集まってワイワイ話をする雰囲気に「つながり」を感じる人も多かったのではないだろうか。つまり忙しい人が内容をギュッとまとめてみたいという感じではなく「ビール(チューハイかも知れないが)片手に仕事の後でわちゃわちゃ楽しみたい」という感じのコンテンツに仕上がっている。
政治言論が「真実の追求」から「わいわい・わちゃわちゃ」に変わっていると感じる。当ブログの閲覧数を見ても「斎藤元彦ネタ」に盛り上がる人は多い。韓国の戒厳令のニュースは「一体何があった?」で盛り上がりXに投稿すると「うわーっ」と閲覧数が伸びるがすぐに収まるという感じだった。感覚としては火事場に野次馬が集まるのと同じ感覚だ。
日本語版開設当初のQuoraの政治言論は「南京虐殺などなかった」とか「朝鮮は植民地ではない」などと言う人達と「南京虐殺はあった」とか「朝鮮は植民地だった」という人たちの間で「真実を巡る争い」が繰り広げられていた。つまり真実はなにかという論点が置かれていた。
しかし実際の政治状況を見ると「そもそも事実に関する見方」が人によって違うというものが多い。物事の見方は多様でであるということを示しつつ相手を否定せずに穏やかに意見交換ができる共同体ができれば問題解決の一助になるのではないかなどと思っていた。
その後、アメリカではトランプ大統領が落選し分極化した中で政治言論が過激化してゆく。一時QuoraではAIによるモデレーションが導入されCNNの記事を引用しただけで記事が差し止めになるという事態も起きている。つまり政治について語ることそのものが難しくなる状況が生まれていた。現在はトランプ氏が勝利したためにかつての陰謀論者がメインストリームとなり新しい陰謀論が左派から提示されるなど混乱した状況が続いている。
こうした状況を見ながら「日本もやがてこうなるのではないか」と考えた。しかし丸山氏のチャンネルを見る限り日本では別の動きがでていると実感する。
コメント欄を見る限り参加者たちは政治を自分ごととしては見ていない。他人事としてみているので「事実はどうであれ面白いほうがいい」と考えているのではないかと思う。そこにマジメな人達が紛れ込み自説を展開しようものなら袋叩きにあうという世界だ。
政府からは盛んに選挙中のSNSのフェイクニュースを規制すべきだという声が出ている。しかしながらおそらくそれは「面白いければそれでいい」と言う人達を規制することはできないだろう。むしろ社会が設定するルールをかいくぐることじたいが一つの面白さを提供する。
「斎藤元彦ネタ」が閲覧数を稼ぐのは事実でありそれ自体が一つの新しい政治現象といえる。テレビに対する不信感というよりは「社会とはなにか」という意味がそもそも失われている。テレビのバラエティ番組がコンプライアンスでがんじがらめになるなか大勢の人たちが「政治」になだれ込み今後の投票行動に影響を与え続けるのかもしれない。
仮に政治が立派なものであれば「政治はもっと真面目なものだ」と主張できる。
立花孝志氏は泉大津市長選への出馬を検討しているという。泉大津市は立花氏のふるさとであり不自然な動きではない。しかし一部では本当の狙いは岸和田市にあるのではないかと言われているそうだ。
自公政治への不信感から大阪では維新が伸長している。しかし岸和田市では市長が性加害疑惑を抱えている。NHKによると最新の情報では「和解が成立し」「除名回避に向けて市長が弁明をする」ということになっているそうだ。仮に除名になれば市長は離職の方向ということになるのだという。
つまり政治そのものが「かなりふざけた」状態になっており愉快犯的な傾向の強いSNSを非難できなくなっている。
泉大津市長選挙は12月8日告示・15日投開票とのことだ。立花氏はその狙いを「マスコミの動きを知りたいから」としている。政治参加意識が希薄な日本では「選挙=政治」と考える人が多い。マスコミも社会現象として取り上げざるを得なくなるため露出が増え立花氏らの活動にも注目が集まるというスパイラルができつつある。
混迷する国際状況とバラエティ化する政治のどちらを本流として扱うのかは難しいところだがしばらく悩みつつ考えたい。ご意見があればお寄せいただきたいしなければないでアクセス数とリアルタイムの反応を見ながらまったりと方針を考えたい。
Comments
“丸山穂高氏が「元県民局長のPCの中身」を論評” への2件のフィードバック
「斎藤元彦ネタ」になってしまいましたが、本来なら日本の公益通報者保護法の運用問題について一石を投じるものにもなったはずだと思います。
混迷する国際状況とバラエティ化する政治のどちらを本流として扱うのかは悩みますが、個人的には混迷する国際状況を本流として扱ってほしいと感じます。理由は、日本のブログでは国際状況を扱うものは少ないと感じるので、ここのようなブログは貴重だと感じるからです。しかし、国際状況系はアクセスやコメント数が少なくなるかもしれませんが・・・。
まあ確かに数で言えば「バラエティ系」はたくさんありますもんね。ありがとうございました。