斎藤元彦兵庫県知事が元県民局長のPCの情報漏洩問題について問われ「第三者委員会」による調査を示唆した。一方、立花氏側は国会議員に送られた情報だったと「あきらかに」した。国会議員には国際調査権があるという理屈で公益性を主張しようとしている。
これまでの経緯と立花氏の主張をもまとめた。
斎藤元彦知事は職員の告発を端緒とした「おねだり疑惑」などでパワハラ知事としてメディアバッシングを受けていた。斎藤氏を好ましく思わない議会多数派はこれを利用し百条委員会を吊し上げの場として利用しようとする。調査のさなか元県民局長が亡くなるとメディアの報道も増える。風向きが兵庫維新に不利になったこともあり、全会一致で不信任決議に乗り百条委員会で結論が出ないうちに斎藤知事は知事選再選挙を選択した。
ここで登場したのが立花孝志氏だ。立花氏と斎藤氏の関係は明らかになっていないがなぜか自身の当選を目的としない選挙戦を展開した。立花氏には「斎藤擁護」を通じて有権者の一部が盛っているメディア不信を可視化できるというメリットがありSNS上では「反メディア感情」はお金になる。赤の煙と青の煙が混ざれば結果的に紫の煙になるがその煙を掴むことはできない。ネット時代の不思議な現象だ。
ターゲットになったメディアはこれまでの社会正義追求のフォーマットを使い斎藤陣営の「反社会性」を印象付けようとしている。しかしこの試みは単なる自己弁護に過ぎないうえにメディアに悪感情を持っている人たちにとっては逆効果でしかない。杉尾秀哉立憲民主党議員はTBSの報道特集を称賛したそうだが「アンチコメント」が多数寄せられているという。リベラル攻撃とメディア攻撃は「反インテリ」という共通項がある。
メディアは一時斎藤元彦氏とPR会社の「不適切な関係」を問題視していたが「PR会社が「盛った」ことにすれば罪に問われない可能性がある」という見方が出てきたことでバッシングから撤退している。商業主義的に社会正義を利用しているという側面が伺える。
話題の沈静化を恐れる立花孝志氏は「県民局長のPCの中身」と称するするものを公表した。ネットでは元県民局長が不倫をしていたという風評が広がっており、それをバックアップする内容だ。
メディアは早速これに反応し、斎藤元彦氏も調査を示唆している。
立花孝志氏が考え出した新しい理屈は「国政調査権」だそうだ。もともと国会議員に情報提供があったとしたうえで「国政調査権がある」としている。これが立花氏の非常に巧妙なところである。
立花氏によると、データの情報提供者は最初、NHK党の斉藤健一郎参院議員に提供を申し出たという。斉藤議員が党首の立花氏への情報提供を勧めたことからデータを入手したという。ただ、提供があった時期や場所は明かさなかった。立花氏は「国政調査権がある国会議員に対しての3号通報になるので、いわゆる公益通報に当たるものだと考えている」と自身の見解も述べた。
立花孝志氏、兵庫県元幹部の私的情報とされるデータ 入手経緯の一部明かす 「議員に公益通報!」「ようやく…」ネット反応さまざま(中日スポーツ)
日本人は基本的に権力や権威との一体化を求める。しかし現実は必ずしもそうではない。そこで間に「代官」を置いて「本来権威と一体であるはずの我々を妨害するものがいる」という世界観を作ることがある。これが水戸黄門シンドロームだ。この代官を打ち負かすことであるべき世界が回復されると考えるのが日本人である。例えば財務省官僚や県庁職員などがこの「代官」として利用される。
日本にはかつて地縁・血縁・経済共同体(会社)などの社会が存在した。社会があれば社会正義の追求がなりたつ。現代社会で社会が消滅・形骸化しても「社会正義」という考え方自体は残る。つまり魂が消えたがらんどうの何かが形骸化して残る。
立花孝志氏はこの形骸化した社会正義を熟知しておりシステムをハックしたうえで自分たちの活動のエネルギー源にしている。
例えば「地方自治体には自治権があり国家権力はみだりにここに介入すべきではない」という考え方があり立花氏の主張には無理がある。しかし例えば総務省は地方交付税交付金を使い地方自治体に影響を与えている。つまりそもそも地方自治が建前化してしまっているため、立花氏のような人が入ってきてもこれを防ぐことができないのだ。
本来ならばこの構造を理解したうえで「現在の荒れた状況を解決するためにはもともとも社会を再構築しなければならない」という知見にたどり着くべきだろう。
しかしそうはなっていない。
当ブログの先月の閲覧数を見るとこの斎藤・立花問題がアクセスのトップを占めている。肯定派・否定派の割合はわからないが「キャラの濃い人達の泥沼の対立」は格好の政治劇場を提供しており人々を惹きつけている。
人々は「観戦ガイド」のようなものを求めており熱心に経緯を知りたがる。Quora で人々が夢中になる理由を聞いたところ「興味本位でクリックしたらタイムラインがこの話題でいっぱいになった」という人が「情報を整理したくて」クリックすることもあるそうだ。なるほど聞いてみるものだなと思った。おそらく「どちらの側にも立たない中立な」観戦ガイド(そんなものは存在しないとは思うのだが)を求める人も多いのではないか。
しかしながらTBSの報道特集を見るとわかるようにメディアは「なぜ自分たちは見捨てられつつあるのだろう」と動揺しており自己弁護に終止しているようだ。このためメディアの報道が信頼されず「中立な情報」を求めてネットで情報を探しているのかも知れない。
この日本人独特の「公平志向・権威志向」とマスコミの自己弁護姿勢が相まって事態は泥沼化し続けている。この異常な盛り上がりこそが一つの政治現象になっている。