当ブログやQuoraのスペースで「日本の政党は政策が作れない」と書くことがある。言い切りに反発されることもあるが、それなりの理由がある。日本には政党シンクタンクがないためそもそも情勢分析と予測ができないのだ。
REUTERSが「「103万円の壁」突破の経済効果、与党提示の試算に国民側は不満」という記事を出している。こんな一節がある。
自民・公明および国民民主の税調会長会談が28日午前開かれ、国民民主が求める年収が水準を超えると所得税が課される「103万円の壁」を突破した場合の経済効果について内閣府の試算例が提示された。会談後会見した国民民主の古川元久税調会長は、減税による労働供給増の効果などが織り込まれていないと不満を表明した。次回会談日程は未定。
「103万円の壁」突破の経済効果、与党提示の試算に国民側は不満(REUTERS)
国民民主党は手取りアップを訴えつつも財源については「与党が考えることだ」として突っぱねてきた。103万円の壁が移動することにより「乗数効果」が働き消費が活発になると主張しているが、その根拠を示していない。
国民民主党にやる気がないのか。
実は日本の政党(これは自民党も含む)にはシンクタンクがない。本来はまず政策を決めてその前提のもとに試算を行う必要がある。だがそのためには過去からの統計資料の蓄積が必要でそのためにはシンクタンクを作って統計と統計を扱う人材を蓄積しておく必要がある。
しかし日本の政党は分配と集票にしか関心がなく政策にはあまり力を入れてこなかった。このため現状分析ができず、したがって現状分析に基づいた政策を作ることができない。
国民民主党が政策を作るためには試算が必要で試算のためには前提が必要になるはずだ。だが国民民主党は自前で試算ができない。だがこれは自民党も同じだ。だから結果的に財務省の言いなりになるしかない。試算ができれば「こういう前提を置けば試算が変えられる」と言えるはずだがそれができないのだ。
国民民主党は自分たちで政策が作れないために与党に丸投げし与党は内閣府に丸投げする。内閣府は自分たちで政策が作れないからこれまでの政策を所与とした試算を作る。だがこれは国民民主党の考える「乗数効果」をバックアップしない。だから国民民主とはこれを受け入れない。
日本が政策的に迷走する構造は意外と単純なものだ。
今回のREUTERSの記事によると国民民主党は「減税により働き手が増えるはず」という見込みをいれるようにと訴えている。だが実際には103万円の壁の他に社会保障や扶養枠の問題(要するに企業の慣行)が影響を与える。だから政策だけで労働者が増えるかどうかはわからない。そもそも経済のパイが大きくなるわけではなく不足している単純労働が増えるだけでGDPが上昇すると置くのは無理があると言えるかも知れない。
日本では消費税などの減税には経済効果がないとされることが多い。これは国民が将来不安を抱えており減税分を貯蓄に回すことが多いとされているからのようだ。
つまり政策パッケージだけでなく「国民が政治=この国の未来」をどのように捉えるかによっても経済予測は大きく影響を受ける。アメリカ合衆国の場合は「資産が増えた」だけで消費が上向くことがある。アメリカ人は欲しいものは今手に入れるべきだと考える人が多く国民性が日本と全く異なる。
つまり経済予測は政策の総合的なパッケージによっていかようにも変わってしまう。
国民民主党は手取りアップを訴えているが実際には単に埋没を避けるための党利党略行動である可能性が高い。支持母体の連合からは立憲民主党と協調姿勢を取ることを求められているが数で劣るためにこれを拒否し続けている。政治とカネの問題でも野党協議に加わらなかった。埋没を避けるために独自で経済法案を出す。しかし自民党の補正予算案に反対するのではなく「補完する内容だ」とわかりにくい発言を繰り返している。
有権者はすでに飽き始めており「次の減税の受け皿」探しが始まっている。
経済政策が迷走するなかで国民は「減税があっても一時的で中長期的には国民負担が増えるだろう」と予測しており財布の紐をきつく縛ったままだ。では国にお金がないのかということになるのだがインフレは国民生活に負担となり政府には多額の増収をもたらす。24年度税収は過去最高になった。
シンクタンクがなく正しい実況判断ができないために政策はチグハグなままであり、結果的に国民の間には悲観的な経済予測が定着し国は成長しないままだ。今回の国会はおそらくそもそも現状がどうなっているのかを把握できない政党同士が有権者の気を引くために様々な提案を打ち出すという不毛な国会になるのではないかという気がする。
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