できるだけ「マスゴミ論」は取らないようにしているのだが、今回のケースはひどいなあと感じている。
ワイドショーの斎藤元彦氏叩きが一旦収束に向かっている。「辛坊治郎氏 斎藤知事の疑惑「マスコミが一気に収束感」 弁護士「PR会社が盛った」に→「皆、妙に納得」 残る問題は1つと」で辛坊治郎氏が語っているとおりだ。
きっかけは斎藤陣営弁護士の「PR会社は話を盛っている」という説明だったが、この説明に識者たちが納得したようだ。確かにPR会社が誇張しているのであれば斎藤元彦氏を罪に問うことも連座制で失職させることも難しくなる。つまり吊し上げショーが成立しなくなる。
今回の一連の報道でわかったことがある。マスコミはなにかの基準があって斎藤元彦陣営を叩いているわけではなかった。
識者と呼ばれる専門家の話を聞いて「これは失職につながるのでは?」と認識したうえで安全なところから斎藤元彦陣営を叩いていた。特に若狭勝弁護士の「捜査機関が何も動かずに終わるはずはない」発言はマスコミがこぞって一つの方向に流れるきっかけになったのではないかと思う。つまり専門家に「言わせる」ショーだったのだ。
ところが斎藤陣営の弁護士が「PR会社社長が勝手に盛り上がっているだけ」だったと主張すると一転して「確かにそういう筋立てにすれば話は終わってしまう」ということになった。「PR会社社長が買っていに話を盛っている」と言えば確かにそれで終わってしまいますねとハシゴを外される形になってしまった。さすがに無理に発言させるわけにも行かず吊し上げショーが成立しなくなる。
別のエントリーでSNSの誹謗中傷について扱った。ネットには「叩いていもいい」とみなされる人達がいる。例えば知能が高くリベラルで反論する女性などがターゲットになりやすい。叩いている人たちには法律的な知識がなく「匿名であれば身元が特定されずしたがって何をやってもいい」と考えているようだ。そしてそれに影響を受けた14歳の少女が「脅迫容疑」で書類送検されたりする。
東野篤子氏を叩いていた人の一人はたまたま茨城県警の45歳の元警部だった。その気になれば法律について知ることができる立場だ。にも関わらず「こんな事を言ったら名誉毀損で訴えられる(かも知れない)」という認識を持つことができていない。
ただし今回の吊し上げショーの経緯を見る限り「叩かれても構わない人」を選んで攻撃するという習性は何もネットに限った病理ではないということがわかる。むしろ安全を確保したうえで社会正義の名のもとに人を叩くほうが悪質といえるかもしれない。ワイドショーの場合は広告枠を売る商売になっているが、横並びのショーであるところから「とりあえず枠を埋めたい」という動機のほうが強いのかも知れない。それくらい我々は退屈している。
このPR会社社長は週刊誌では折田楓氏とされている。テレビは(自分たちの)安全面を考慮して決して名前は出さないがYahooニュースでは「キラキラに見えてドロドロ」などと叩かれ放題になっている。これを羨む人もいたのだろう。「いつか痛い目に遭うと思っていた」などと言われたい放題だ。
結果的に兵庫県政の問題はすっかり脇に置かれている。
人々が代わりに夢中になっているのは「高いところに上がった人がそのまま堕ちるのを見るのは楽しい」という安手のお笑いショーだ。結果的にテレビもSNSもこの手のショーに夢中になっている。取り上げられた人たちは単に消費される存在であり終わったあとには何も残らない。
コメントを残す