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自衛隊と牛をめぐる闘争

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南スーダンの事情がルワンダ化しているという。ルワンダ化というのはつまり「何が何だかわからない」ということだ。この記事によると64民族がお互いに傷つけあっているという。この問題はどうしても「自衛隊を派遣すべきか」という問題として語られがちだが、調べてみるといろいろなことがわかる。
ルワンダにはもともと民族対立はなかった(西洋人が民族概念をでっち上げた)のだが、南スーダンの状況は違っている。ディンカやヌエルなどという「民族」が対立している。これはイギリス人がでっち上げたものではない。しかし、ディンカはいくつかの氏族に分かれており、ヌエルも小さな集団で牛の奪い合いをしていたそうだ。ディンカとヌエルは言語的には極めて近しいらしいのだが、そもそも日本人が考える二大民族とは言えない。それぞれまとまりがないのである。
この記事によるとディンカから奪った牛を今度はヌエルどうしで争うということも起こるのだそうだ。日本人からみるとこれを一つの民族と呼べるかどうかは微妙なところだ。
このような民族集団がなぜ存続し得たのかはわからない。それなりの仲裁制度はあったようだ。それよりも大きかったのは共通の敵 – アラブ人たち – の存在にあるらしい。スーダンはイギリスとエジプトが共同統治していた。スーダンが独立すると今度は北部のアラブ人が南部のナイル系諸民族を統治した。しかし、水利をめぐる問題などが起こり、南北は対立する。スーダンが統合していた当時のナイル系にとってはアラブ人が共通の敵だったわけだが、その間にも牛や土地をめぐる争いは続いていたようだ。
アラブ人の抑圧がなくなってしまうと今度は内部での主導権争いが起きたことになる。もう牛や土地をめぐる争いではない。さらに皮肉なことに南スーダンは石油が出るので、その利権を巡って周辺各国や先進国が介入する。もともと統治の経験も中央政府を作ったこともなかった人たちが、最先端の武器を手にして争い出したのである。
ディンカ人は非常に背が高いことで知られている。男性の平均身長は190cmだという話がある。一方ヌエルは社会的な父親と生物学的な父親が違うことで有名だそうだ。家族は生物学的な現象ではないという。これは集団主義的な社会が強く作られていたことを示しているように思える。父親は男性である必要もないという。牛は社会集団の財産であり強い関心と執着が見られる。
統治の経験がないまま破たんした国家は他にもある。ルワンダやソマリアがその例だ。ソマリアが泥沼化しなかったのは、石油のような資源がなかったからだろう。それでも調停手段があった地域とそうでない地域では事情が大きく異なっているようだ。調停手段がない地域は報復合戦がエスカレートし地域の崩壊を招いた。
南スーダンには資源があるため各国が介入し、小集団同士の報復合戦が泥沼化するわけである。日本もインフラ整備をしているが、これは「政府に恩を売って利権を獲得する」という側面がある。中国が同じような戦略をとっているからだ。安倍政権は中国に対抗したいため意地になっていると考えることができる。自衛隊はその捨て石にされようとしている。日本人は利権を確保するために南スーダンにおり、それを防衛するために自衛隊が使われている。邦人保護ということでは現行憲法の許容範囲なのだが、それが海外利権に適用されるかというのは議論の分かれるところだろう。
安保法制の議論は海外利権の防衛を現行憲法の適応範囲に置くかという議論なのだが、そもそも植民地開発は表向きは否定されているので、議論が複雑化しやすい。代わりに「援助」とか「世界の治安維持」という政治的に正しい(ポリティカリコレクトな)用語が使われる。
そもそも日本人が考えるような政府も民族もないのだから先進国の常識で南スーダンの事情は語れないのだ。国会の<議論>があまり有効なものになりえないのはそのためだ。
現在の先進地域がいかに恵まれていたかということもわかる。ヨーロッパも血で血を洗う内戦が何百年も続いた。これが皆殺しに発展しなかったのは、キリスト教を基盤にした調整機能があり、強い諸外国からの鑑賞がなかったからだろう。日本の内戦も1600年頃には終結した。イギリスなどからの武器の提供はあった(ちょうど真田丸でイギリスから買ってきた大砲を大阪城に打ち込むというエピソードをやっていた)ようだが本格的な介入はなく、自力調停手段を身につけた。南スーダンはこうした経験を経ることなくいきなり現代を迎えてしまったのだ。
 


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