斎藤元彦兵庫県知事の当選を巡りいくつか記事をお送りしている。個人的にはどっちでもよいというのが正直なところだが、仮に「斎藤元彦氏側」に立つならSNSの規制よりも企業団体献金の透明化を先に議論するように働きかけたほうがいいのではないかと思う。
SNSを使って有権者に「メディアに乗っていない真実」を届けるためにはある程度の資金が必要だ。だが既存政党は自分たちに有利な企業団体献金と放送局による管理されたメッセージは残しSNSだけを規制したい。「伝わっては困る不都合な真実」があると考えてよいだろう。今の政党は無党派層に「今の政治はなにかおかしい」と気づいてほしくないのである。
公職選挙法には提灯(ちょうちん)の規定がある。かつて「ここで演説をやっていますよ」と訴えるときに使っていたのだろう。だが今では選挙に提灯を使う人などいない。この規定は公職選挙法がいかに古びた更新されていない法律なのかを示す材料としてよく例示される。
インターネットが登場したときに政党が恐れたのは「この得体のしれない新技術」が既得権を脅かす可能性だった。ただ、彼らが注目したのはメールを使った選挙戦だ。結果としてメールを使って投票依頼ができる人たちが制限されている。
ここから2つのことがわかる。
- 議員たちは選挙陣営以外の人たちが選挙に参加すると何をしでかすかわからないと考えている。
- 具体的にウェブサイトとメールだけを規制したことで「SNSとYouTube」が規制の対象から漏れてしまった。
だがこのあと既成政党は別の問題に直面する。
終身雇用制が破壊されたことで国民年金が破綻しかねない状況に陥り学生がアルバイトを強制されているという問題については先日のエントリーで解説した。
かつて終身雇用制だった日本では企業・労働者・農家・それぞれの職業団体を押さえていればだいたいの国民がカバーできていた。しかし、自公政権が積極的に国民の非正規化を進めたために支持母体の崩壊が起きている。代わりに増えたのが「無党派層」だ。
これを補うために既存政党が頼ったのが宗教団体だった。また、無党派層の繋ぎ止めにはYouTubeなどのSNSの利用が有効だという期待がありYouTubeを使った政治運動が規制されることはなかった。
今回の件でSNSの利用では外から選挙を破壊する人たちに勝てないということがわかってきた。直接の責任は国民生活の破壊に何ら抜本的な手を打たなかった政治の側にあるが、「SNSも規制すべきだ」という声が生まれつつある。
既成政党は「お金を使ったSNSの利用は金権選挙につながる」と主張している。いっけんもっともな意見に聞こえるが、実は議論の余地がある。
基本的に自民党は政策ベースの政党ではなく利益分配のための共同体である。それぞれの議員がプレゼンスを発揮するためには地方議員への「心配り」が欠かせない。自民党が政治とカネの問題を解決できないのは今までのお金の使い方の調査が進むと議員たちが地方議員に「どんな心配り(日本では「お気持ち」は札束でしか伝わらない)をしてきたか」が見えてしまうからである。
自民党は「選挙にお金が流れると野放図な地方議員買収合戦が行われそれが管理できなくなる」ことを恐れている。規制を作る側も「手の内を明かしたくない」と考えている。戦国時代の武将たちが睨み合っているような状態なので本来は第三者委員会のようなものを作って新しい規則を作らなければならない。
だが「自分たちでは新しいルールは決められません」とは言えないので「キレイな選挙のためには規制が必要だ」と言っている。
結果的にネット選挙が規制され「国民の知る権利」が侵害されている可能性がある。
仮にネット規制を行うのであれば
- やはり虚偽情報が野放しになるのは良くない。だから、国がお金を出してファクトチェックの団体を作るような工夫が必要だろう。
- 仮に選挙にお金がかかるならアメリカ合衆国のように政治資金の「出と入り」を管理する団体を作り適正な資金管理を行うことも求められる。
方向で議論を行うべきだろう。つまり外に行事役を置けばいい。
こうした工夫を行わずに無党派層が情報を受け取る権利を侵害しながら企業からの献金だけは受け取れるような方向で議論が進むのは公平性を欠いていると言わざるを得ない。
放送局を使った政治宣伝には偏りがあり政党要件を満たした政党だけが有利に取り扱われる。ただそもそもテレビから情報を取る人が減っている。このままSNSだけが規制されてしまえば有権者は政治情報を取ることができなくなる。ここで「黙っていてくれれば」いいのだが、おそらく有権者はますます虚偽の情報に対して脆弱になるだろう。
放送局でもSNSでも情報発信には資金が必要である。資金の適切な管理が問題なのであって「お金がかかる選挙はすべて悪である」という状況が果たして国民を幸せにするのかはそろそろ議論したほうがいい。
選挙報道規制と公職選挙法は「いかに有権者に情報を届けるべきか」を軸に議論が進むべきであって「既存政党が理解できないものを潰す」という議論であってはならないのではないかと考える。
SNSやブログのコメントを丁寧に拾うと「今の政治は自分たちのためになっていない」「なんとなく騙されている」と感じる人が増えており、中には「だったら倫理などそれほど重要ではないのではないだろうか?」と考える人まででてきているようだ。現実を無視した規制はおそらくこの国の民主主義をますます不健全化させるだろう。そして不健全な競争ではおそらく既得権の側が負けてしまう。
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“無党派層に政治に参加してほしくない 議論から見える政党側の本音” への1件のコメント
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