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困窮する学生と破綻寸前の年金システムをマスメディアはどう扱っているか

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ポスト・トゥルースの時代について考えている。マスコミはSNSに流される人たちが悪いと言い続けているがその原因は政治の曖昧さにあるのではないかというのが考察の内容だ。

政治が曖昧なメッセージを発信し続ける必要があるのは、おそらくは彼らが現在の行き詰まった状況を改善できないと知っているからだろう。このまま「負け」を認めてしまうとただでは済まない。

だが、日本のマスメディアは徐々にこうした状況を伝えなくなっている。確かに飽和的な情報を流すSNSも問題だ。だが、伝えない事によって隠すマスメディアも同じように糾弾されるべきだろう。

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103万円の議論の中で「若者はもっと働きたい」という議論がでてきた。これに応えるために政府は所得税の103万円の壁を動かすととともに扶養手当についても考慮しなければならないのではないかと共同通信は書いている。

いっけん「もっともだ」と言う気がするが、一歩進んで「なぜ学生は働かなければならないのだろうか?」と考える人もでてきた。

高度経済成長時代に学生を経験している人たち(現在その最後の世代が60歳になろうとしている)は大学は「レジャー施設だ」と揶揄された時代を生きてきた。つまり大学に入りさえすれば4年間は遊んでいてもそれなりの就職先を見つけることができた。

ところが現在の学生の2人に1人は何らかの奨学金を受け取っている。つまり働かなければ大学に通えない。つまりこの世代の大学生とその親(現在30歳から50歳代の前半あたりだろう)はそもそもの出発点が就職氷河期でありそれまでの世代と見える世界が全く異なっている。

ここからたちどころにいくつかの疑問が出てくる。

  • そもそも学生が103万円以上稼ぐ必要があるのはどうしてか?
  • そもそもなぜ学生は貴重な低賃金労働力として期待されているのか?
  • 大学を卒業しないことがペナルティになるのは自明だが大学を卒業すればかつてのような高収入が得られる保証があるのか?

これらの疑問に答えようとすると実に様々なことを検証しなければならないのだが、一つだけ確かなことがある。

  • 学生がじっくりと専門性を育てる時間が取れなければ高収入を得られる技能は身につかない。だが、社会全体はそれを学生に許さない。故に学生は高収入を得られる技能を身につけることができない。

学生の困窮化は一人ひとりの学生にとっては大きな問題だが社会全体の損失もまた甚大なものがある。日本は非正規化と工場の海外移転によってマニュアル化されていない暗黙知を蒸発させたが、それに飽き足らず次世代を食いつぶそうとしている。これは明治維新以来の日本政府が徐々に育んできた「産業人材」抹殺計画と言ってよい。

ただ日本の困窮化はかなり深刻なところに来ており「学生ばかりをかまっていられない」ところまで追い込まれているのかも知れない。

これまで「年金制度」の問題について考えてきた。この問題を考えると「国民年金制度は破綻をしかけておりこれを補うために厚生年金の掛け金が期待されている」のだろう、という結論に至る。

ということは国民年金を支払う人の割合は減っているはずだ。だが実はそうではない。「過去最高」の負担率を達成している。

つまり国民年金が破綻しかけているという考察は「被害妄想に基づいた間違い」だったのかという気分になる。さすがに「都合の良い記事」だけを切り貼りし都合が悪い記事を扱わないのは良くない。

するとこんな記事が見つかった。

八代尚宏さんはどちらかといえば右翼的な主張で知られているため「この記事を採用するのはちょっとためらわれる」と考えた。どうしてもポスト安倍の政権を批判したいのではないか?と感じてしまう。

そこでもう少し記事を漁ってみることにした。すると2017年の日経新聞の記事が見つかった。

ここからNHKの記事に遡ると「加入者数は過去最小に」のあとが書かれていない事がわかる。つまり加入はしていても実際には払えない人がいてその人達については書かれていない。

もちろん、マスコミは最初からそれを隠してたわけではないだろう。2017年頃には問題視していた。だが、政府が何も対策を講じないうえにこの点を強調しなくなったために伝えなくなってしまったのだ。つまり、NHKの記事には嘘は書かれていない。単に伝えたくないことを書かなかっただけである。

総論すると次のようなことが言える。

日本のリブートのためには優れた技能を持った人材が必要だ。そしてその人材を育てるためにはある程度の「モラトリアム期間」が重要になる。ところが日本の世帯はこうしたモラトリアム期間の捻出が難しくなっている。結果的に日本の高度技能人材は失われる。

この結果として全体として経済の地盤沈下が起きていて国民年金を支払えない人が増えている。おそらく「次世代の学生を生み出すための家庭」すら作れないという人たちも増えていることがうかがえる。

マスコミはある時点からこれを伝えることすら諦めてしまった。

黒船の来航に驚いた日本政府は「近代産業を育成するためには効率的な人材教育が必要だ」として産業人材の育成に励んできた。つまり人材育成は日本にとって常に国策だった。

マスコミが「政府と結託して不都合な事実を伝えないようにしている」とまでは思わない。マスコミは嘘はつかない。ただ伝えないことによって事実を隠蔽しているだけだ。

確かに一部のSNSは情報を飽和させることによって「信じたい情報を信じさせる」傾向にある。つまりこれ自体は問題と言えるだろうが「伝えないマスコミ」と「伝えすぎるSNS」は車の両輪のようなものだ。どちらかだけを攻め立てれば問題が解決するという類のものではないのではないかと感じる。

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Comments

“困窮する学生と破綻寸前の年金システムをマスメディアはどう扱っているか” への2件のフィードバック

  1. 細長の野望のアバター
    細長の野望

    選挙中は「政治的中立性」を理由に報道を抑え気味になりますが、SNSを見ると、もっと選挙に関わることを放映してほしいと思っている人たちがいるように感じます。
    選挙中は政治関係の放送してはいけないという縛りはないはずなのに、なぜなのでしょうね。昔は選挙中でも放送していたけど、強い抗議などで委縮するようになったのか、リスクをとりたくないだけなのか・・・。
    そもそも、日本は「政治的中立性」を理由に、政治的な行為や言動を抑える傾向はあると思います。昔あった「九条俳句訴訟」とかは「梅雨空に『九条守れ』の女性デモ」みたいな、そこまで「政治的中立性」を害するとは思えない表現さえも抑圧されていて驚いた記憶があります。
    「政治的中立性」が、よりよい議論のためにはなっておらず、ただの政治への参加を縛る呪いのような言葉になっているように感じます。
    マスメディアと政治家は、我々にもっと積極的に政治に関わってほしいと思っているのか、それとも関わってほしくないのか、あるいはそういう信念や理想を持っていないのかもしれません、

    1. 今回は選挙中に政治報道が抑制される理由について書きました。サンデーモーニングを見た官邸の人たちが「あれはけしからん!」と考えて放送法の解釈を変更したのがもともとのきっかけだと思います。2023年に一度この経緯が発掘されるのですが「官僚同士のいざこざだろう」ということになり議論されないまま現在に至ります。