斎藤元彦兵庫県知事が再選された。既存メディアへの不信とSNSによる情報飽和が影響したと指摘されている。テレビ局は危機感を強めており「テレビ報道が信頼されていないこと」をメインの話題として扱っていた。既存政党もSNS対応を強化して新しい時代に対抗しようとしている。
これらの対応を見る限り、既存政党もテレビも「ポスト・トゥルース時代」をうまく理解できていないように思える。このままでは既存政党もテレビもポスト・トゥルース時代に対応できず不確かな情報に淘汰されてしまうだろう。
ここではウクライナに対するATACMS提供を例に挙げて「ポスト・トゥルースの時代」について見てゆきたい。
このエントリーではバイデン大統領がロシア領内でのATACMS支援を決めたというニュースを題材に「なぜポスト・トゥルースになったか」と「それがどんな時代なのか」について考える。
ATACMSはアメリカ合衆国が提供する長距離ミサイルだ。これまではウクライナ領での使用しか許されておらずロシア領内で使うことはできなかった。今後のウクライナはロシア領内でアメリカ合衆国が提供した武器を使って戦うことになるため、ロシアは「これはアメリカ合衆国の直接参戦である」とみなしている。
ただしこの武器の投入はゲームチェンジャーにはならないものと見られている。武器の供給は限られている上に、バイデン大統領の任期はあと2ヶ月しか残っていない。このため「なぜ、今更提供されたのか」と言われているわけだ。
バイデン大統領は古くからウクライナの可能性に目をつけていた。ロシアとヨーロッパの間で揺れるウクライナを経済フロンティアとして欧米陣営に引き入れる狙いがあったものと考えられている。天然資源と豊かな農地に恵まれた可能性のある国である。クリミア半島がロシアに占領・併合されたためウクライナの反ロシア感情が高まったこともバイデン大統領に取っては好機になった。
しかし、バイデン大統領の計画はプーチン大統領のウクライナ侵攻によって破綻した。緊張状態を背景にアメリカに引き入れておくことは重要だが実際に攻撃されると対処の必要が出てきてしまう。
さらにバイデン大統領は「アメリカの新しい利権の確保」と説明せず「民主主義を専制主義から守らなければならない」と説明した。実際の意図を隠して説明をしたのである。これがポスト・トゥルースの前駆体として作用する。便宜的に「偽善」と呼ぶ。言い換えれば「説明のための説明」である。
ただゲームのルールは「バイデン大統領の主張が嘘であることを証明する」ことを要求する。証明されない限り合法的なプロセスに則って行われた行為はすべて合法になる。
ところが偽善が次々と積み重なると人々は事実や合法性をさほど重要視しなくなる。結果的にトランプ前大統領の再選が決まった。トランプ氏とイーロン・マスク氏はSNSのXを駆使して情報を飽和させる。当然虚偽の情報も含まれている。すると人々は「事実」を分別することに疲れてしまい「自分が信じたいものを信じる」ことになる。
バイデン大統領は当初の偽善を維持する必要がある。と同時に「米露戦争」を避けなければならない。このためすべてが後手にまわることになった。CNNは次のように厳しく批判する。
ウクライナが求めた高機動ロケット砲システム「HIMARS(ハイマース)」も主力戦車「エイブラムス」もF16戦闘機もすべて同じパターンだ。要請を拒み、言葉を濁し、ほとんど手遅れになった瞬間に承認する。
バイデン大統領が認めたATACMSの使用、戦況に与える影響は(CNN)
今では次のような言説が流れている。
- バイデン大統領からトランプ大統領への移行期間にロシアが状況を変えようと仕掛けて来る可能性がある。ロシアが北朝鮮の兵士を多数動員しているのもそのためだ。これを防ぐためにバイデン政権はATACMSを投入した。
- バイデン大統領はトランプ氏の平和の実現を妨げようとしておりハードルを上げている。
- バイデン大統領と軍産共同体は大きな政府を作り国民に寄生している。軍産共同体は血に飢えた獣であり常に戦争を必要としている。
軍事評論家などは現実路線に沿って1のように説明したがるがこれは最も退屈な論評だ。CNNは2のようにほのめかしている。言うまでもなくリベラル・反トランプである。Newsweekはトランプ陣営からのメッセージとして3の情報を紹介している。なおNewsweekは「いまさら」とATACMSの解禁には否定的だがトランプ派の言説を「真実だ」と言っているわけではない。
ユタ州選出のマイク・リー上院議員(共和党)がXに投稿した「リベラルは戦争が大好き」「戦争は大きな政府を促進する」というコメントに対しては、実業家でトランプ政権に入る予定のイーロン・マスクが「これは真実だ」と返信した。
なぜ今さら長射程ミサイル解禁なのか、ウクライナ戦争をめぐるバイデン最後の賭け(Newsweek)
バイデンの決断についてトランプはまだ声明を出していないが、長男のドナルド・トランプ・ジュニアはXにこう書いている。「軍産複合体は、父が平和を創造し命を救うチャンスを得る前に、確実に第3次世界大戦を起こしたいようだ。何兆ドルもの資金を確保しなければならない。無駄に命が失われる! 愚か者め!」
なぜ今さら長射程ミサイル解禁なのか、ウクライナ戦争をめぐるバイデン最後の賭け(Newsweek)
ポスト・トゥルースに至るまでの間にはそれなりの前駆的プロセスがあるので「結果として起きた」情報の単純化だけを問題視しても何も解決しないということがわかる。また「真実が情報飽和によって歪められた」わけでもない。もともと「真実」とされたものが歪んでいた。
- 偽善の積み重なり
- キャッチアップの困難
- 情報飽和
- 情報の単純化
この構造を国政に当てはめるのは極めて容易である。
- 自民党・公明党政権は現役世代に負担を押し付け社会保障システムの不安定さを隠し「100年安心」と偽ってきた。マスコミもこれに協力した。インフレが進み国民生活は困窮するが「そのうち賃金が上昇するから問題がない」と説明し続けた。国民は漠然と「これは嘘なのでは」と感じるが証明することはできない。
- 財務省や厚生労働省などから様々な情報が飛び出し、国民民主党は強力な減税が可能だといい出した。
- 不安から様々な情報がYouTubeで飛び交うようになった。
- 有権者は信じたい情報だけを信じ「財務省、総務省、厚生労働省などが国民を騙そうとしている」という意見が先鋭化しつつある。
兵庫県でおきた問題はやや複雑である。明確に「偽善」と「行き詰まり」の間に明確な区別がなくその不安定さが外から来た情報に刺激されて流れが変わっている。おそらく情報飽和は外から意図的に起こされている。
- 県庁では先代の知事の時代からよくわからないゴタゴタが起きていた。ゴタゴタの結果職員たちが亡くなった。このゴタゴタは一旦は「斎藤元彦知事のパワハラ」という説明になった。ところがここに百条委員会が入ってきた。兵庫維新の台頭に怯える自民党などが劇場化を狙ったものと考えられる。つまり県議会も県庁も安定性を欠いた不確実な状況になっていた。この不確実な状況で百条委員会の結論が出る前になぜか不信任決議が出された。
- 外から第三者が入り込み改革(県立大学の無償化などが注目されていたようだ)を妨害するために政党とマスコミがグルになっているという説明が行われた。当初は若者を中心に回覧が行われたようだが次第に両親や祖父母の世代に拡散していった。
- 結果的に複雑な物語よりも「改革が既得権によって阻まれている」という単純な物語が採用された。
ここからなぜ既存政党もマスコミも「ポスト・トゥルース時代にうまく対応できない」のかを説明する。
まず既存政党は何らかの事情で曖昧な情報を流しておりそれがうまく制御できなくなっている。これを隠蔽するために編み出された言葉が「丁寧な説明」である。既存のルールでは丁寧な説明の嘘を受け手側が証明する必要があったが、ポスト・トゥルースの時代では「人は信じたいものを信じる」ので立証責任がなくなる。
またマスコミは「丁寧な取材を通じて何が事実なのかを見極める」のが仕事である。ところがポスト・トゥルースの時代にはそんな真実は存在しない。あるのは「確率付きの真実たち」だけだ。公平公正原則に縛られたテレビと新聞は「各論併記」しかできなくなる。このため「お気に入りの真実」だけを述べていればよいネットメディアにおのずから負けてしまうのである。
マスコミはこれを修正することができない。なぜならば原因は「そもそもの情報発信が不確かである」ことが出発点になっているからである。
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