日本にもポスト・トゥルースの時代がやってきた。
今回の兵庫県知事選挙ではマスコミに対する強い敵意が感じられた。Xには「マスコミはお通夜状態だ」とか「マスコミが斎藤さんをいじめた」とか「偏向報道の嘘が暴かれた」言うコメントが多数入っていた。「ああここまで嫌われているのか」と正直ゾッとした。
今後、既存のマスコミはかなり大変な状況に直面するだろう。「真実」というものがなくなり「それぞれの人がお気に入りの真実」を信じる時代に入ったのである。
日本ではこうした時代がやってくるのはアメリカの10年後ぐらいだろうと思っていた。「思っていたより進展が早いな」というのが正直な感想だ。
今回の兵庫県知事選挙の投票率は高く前回(斎藤氏の最初の選挙)に選挙に行かなかった人が多数動員されていることがわかる。このことから「斎藤氏への支援」ではなく何らかに対する敵意が選挙戦を盛り上げたのだろうと予想できる。
SNSのXの投稿を読んだのだが背筋が寒くなった。Quoraで政治に関するフォーラムをやっているのだが、夜中の時間に荒れ狂った文章を書きつけてくる人がいる。かなり疲れているのだろう。その「凝縮版」がXには溢れている。
満足感を持っている人は自分の達成や人とのつながりに喜びを感じる。だが疲れてくるとこうした感性はなくなり「他人の失敗や不幸」に注目するようになる。日曜日の夜といえば疲れが取れているような時間帯のはずだがマスメディアに対する憎しみが延々と書き連ねてあった。
中でも印象的だったのが「Mr.サンデー」に対する70代の女性のコメントの切り抜きだ。「普段はテレビを見ない」「しっかりと判断すればYouTubeのほうが正確だ」と主張している。がっくり肩を落とす宮根誠司さんの表情が映し出され、現在255万回閲覧されていた。
だがこのときは「疲れた都市部の若者」がマスメディアに対して怒っているのだろうと考えた。しかし様々な出口調査を拾ってゆくうちに「ああこれは正しくない」と感じてまた背筋が寒くなった。
共同通信の調査によると60代以下で斎藤氏支援の動きが広がっていた事がわかっている。また選挙結果を見ても斎藤氏が勝った地域は阪神地域を超えて広がっている。都市部の流行でもなければ若者の不満でもない。
これについて維新の馬場代表が「極端から極端にふれたようだ」という感想を述べていた。RehacQでは「馬場さんは意外と政策通で判断も冷静」だが「数字が取れる華やかさがない」と分析されており興味深いプレゼンテーションに仕上がっている。馬場さんいわく「8番・キャッチャー」なのだそうだが、野球を見ないのでたとえが理解できなかった。
投開票日前の収録であり今回の選挙結果は反映されていない。つまりマスコミの一斉報道がその後にネットによって覆され「マスコミが嘘をついている」「斎藤元彦氏をいじめている」という印象につながった可能性もあるということだ。
また、Xのコメントを読むと「アメリカ大統領選挙」と結びつけた投稿が多かった。
マスコミは「ハリス氏が優勢だと伝えていたがそれは嘘だった」とした上で同じことが兵庫県でもおきたという。確かにアメリカのリベラル系メディア(ABC、CBS、CNN)などはかなり明確なハリス氏びいきでトランプ氏を悪役として扱っていた。
だが、日本のマスコミは「トランプ氏があれだけ虚偽の発言をしているにもかかわらず支持率がハリス氏と拮抗している」と伝えているだけであって「ハリス氏が優勢」とは言っていない。つまりマスコミに対する敵意があり認知が歪んでいるのである。
アメリカのテレビメディアには公平報道の原則はないのでそれぞれの放送局が民主党陣営・共和党陣営に分かれている。また中には「自分たちはどちら側を支援している」と宣言するところもある。
だが日本の地上波は表向きは「公平公正原則」にしたがっている。このため視聴者から見た立ち位置が見えにくくなっているのだろう。
中高年から見ると「日本のテレビ局も自民党(右派)と立憲民主党(左派)に分かれている」という印象がある。だが若年層は「右派も左派も守旧派」という印象を持っているのかも知れない。安倍晋三総理大臣時代この人たちは自民党を支持していたが自民党離れが起きている可能性がある。
また、民意は多数決であり「勝ったほうが正義である」という投稿も多かった。単純多数決を民主主義と誤認していると決めつけるのは簡単だがおそらく裏側にあるのは「自分たちは常日頃から少数派として抑圧されている」という被害者感情だろう。
それぞれの陣営のコメントを読むと負けた方は「SNSに煽られた」「何が争点だったかよくわからなかった」と言っている。一方で勝った斎藤さんも「支援が予想外に広がった」と言っている。このことから第三者がうっすらと広がる敵意や劣等感に火をつけたことがわかる。
その立役者になっているのが立花孝志氏だ。
一方、今回の知事選では県内22の市長が斎藤氏の対抗馬となった元尼崎市長、稲村和美氏(52)を支援。これに対し立花氏は、兵庫で地域政党「真実正義党」を結成し、稲村氏を支援した市長の次期選挙で対抗馬を立て「入れ替えていかないと」などと語った。
N党立花氏、兵庫で地域政党設立を宣言 斎藤氏対抗馬支援の22市長に〝刺客〟擁立へ(産経新聞)
彼のやり方は単純だ。まず既得権に目をつけて「既得権対我々」という対立構図を作り出す。そして飽和的に情報をSNSで流してゆく。選挙戦が始まると選挙報道は抑制されてしまうのでSNSの言説が支配的になりどんどん浸透してゆく。
これまでは「世の中には正解や事実・真実」があるという前提が置かれ「それを正しく精査するリテラシーが求められる」というのが常識だった。しかし、この常識が成り立たなくなりSNSの台頭により「それぞれがお気に入りの真実」を持つようになってきている。これをポスト・トゥルースの時代という。
ポスト・トゥルースの時代には「何が真実なのか」は知性や倫理観ではなく多数決で決まることになっている。アメリカ合衆国はすでにこうした状況になっておりトランプ大統領の勝利に貢献した。
トランプ大統領は「自分たちもやりたいようにやるし、あなたちも好きにやったらよい」と言うメッセージを盛んに送っていた。まず彼が手を付けたのは司法省改革である。自分たちのやりたいようにやらせてくれない司法省や捜査当局は彼らにとっては敵なのでまずそれを解体してしまえというわけだ。
今回の斎藤元彦知事の復職でおそらく兵庫県庁には大きな緊張が走るだろう。県民から潜在的な敵意が向けられていることがわかってしまった。有権者は改革に期待し倫理にはそれほど関心を寄せない。
次のポイントは斎藤氏の「新しい組閣」である。自民党県議団は潜在的な敵とみなされるだろうが、兵庫維新県議団がどのような対応を取るかに注目が集まる。また、
あるいは「牛タン倶楽部」に代わって今回の立役者である立花孝志氏がどのように県政に関わるかも注目点だ。ただこれについては「立花さんは最後に「斎藤さんに投票するのは危険だ」と言った」とか「いやいやそれは切り抜きだ」といった情報が飛び交っており、何がなんだかわからない状況になっている。
いずれにせよ、既存のマスコミはこの「ポスト・トゥルースの時代(みんなが信じたいことを信じる時代)」にどう対応するのかを考え始めたほうがいい。何が真実かがわからないというだけではなく真実が上書きされてゆくのも特徴だ。トランプ次期大統領も立花孝司氏も言っていることがコロコロ変わることがあり検証ができない。アーカイブ化よりも情報の上書き速度のほうが早いのだ。
ただしその「ポスト・トゥルースの時代」がどんな時代になるのかはわからない。おそらく多数決による破壊が進行するだろうが、それがどのような変化をもたらすのかがよくわからないのだ。
その意味で先行指標になるのがアメリカ合衆国の次の2年間だろう。司法省、保健当局、軍隊が解体され大混乱に陥る可能性もあるし「意外と収まるところに収まる」のかもしれない。
ただアメリカがどうなるにせよ「日本ではあんな極端なことは起こらないだろう」という考えは間違っていたことになる。経済が衰退し砂漠化した地域と「日々のネズミ車状態」に苛立つ市民が増えれば増えるほど日本でも同じような状況が再現される確率が高まる。
Comments
“日本もポスト・トゥルースの時代 兵庫県知事選挙で見えたマスコミに対する強い敵意” への9件のフィードバック
フジテレビ抗議デモあたりでも、ネットがマスメディアに対して憎しみを抱いていることは感じられましたが、まさかその時代よりも憎しみが強くなるといは思いもしませんでした。
今回の記事を読んだら、暇空茜のことが思い浮かびました。
暇空茜とその支持者たちが、女性支援団体に対して行ってきた行為は「日本のポスト・トゥルースの時代」を告げるものだったと思います。あれも、「ナニカグループ」という言葉で「既得権対我々」という対立構図を作りだしていましたね。あの時には、暇空茜に乗っかる政治家もいて、酷いと思いましたし、委託元である東京都も女性支援団体を守ろうという気概がありませんでした。日本で想像以上に「ポスト・トゥルースの時代」が訪れたのは、たかが女性支援団体が巻き込まれた事件の一つだと侮っていたツケが回ってきたためだと思います。
なるほど。今始めて浮上したわけではなく、前々からそのようなことは局地的に起きていたわけですね。
以前から、ミソジニー・ゼノフォビア・トランスフォビアなどの差別心が強く関わるところでは、ポスト・トゥルース的な手法がよく見られたと思います。
対岸の火事だと思っていたら、いつのまにか身近なところまで火がやってきたものですね。
県民です。都心部の方はえらく崇高に物事を考えていますが、N党は既にあった何かこれおかしいぞ?を補強する役割にすぎなかったのではと考えます。
反リベラルや反エスタブリッシュメント、ポスト・トゥルースもありますが、信条や党派制より生活、なぜ維新が大阪でこれほどまでに強いのか。地方選挙はもっと実利にドライで生活の変化、政策本位で選ばれるのではと考えます。神戸に住んでいて、大阪の梅田の発展や学校の補助を羨ましいと感じていました。比較して神戸は斜陽都市として落ちぶれていくばかり、前の県政は何もやっていないに等しいと思わざるをえない。やっと改革派の知事の登場で改善の傾向が見えてきたなというところで、既得権や幹部公務員など旧態依然の方々が足を引っ張っているというイメージがありました。若い人の多くは豪華な県庁改築を凍結し若い世代に予算を回す施策を評価しました。この3年で学校のトイレが綺麗になった、個人ロッカーが追加された、それらの実体験は選挙の関心を高め、高齢者世代も一定それらに引きづられました。まあN党がいなかったら僅差で負けていた、普通に稲田さんになっていた可能性は高いですが、改革派知事の信任、旧井戸派にノーがベースではあった、奈良も改革派の知事が信任されていますが、関西地区負け地方の有権者の憤りがベースなのではと考えます。
ちなみに私は「都心部の方」ではないですよ。ただ関東には違いないので「神戸の人が大阪を羨んでいる」という発想はありませんでした。
私は北九州市の出身なのですが神戸市と同じように背景が山で発展の余地があまりなく福岡市に人口を吸い取られているという事情があります。福岡市と北九州市は同じ福岡県なのですが、兵庫県と大阪府は別ですもんね。ただこの論理だと山陰地方にまで斎藤元彦氏への支援が広がったことが説明できません。すると井戸県政の間に学校の待遇がめちゃくちゃ下がっていてこれがちょっと改善されたということのほうが大きいかも知れないですね。
またそれに加えて「再開発が進みキラキラと輝く大阪」というイメージがあるんだとすると都心開発って住民にとっては魅力のある事業なんだなあという気がしました。
色々参考になる点の多いコメントですね。ありがとうございました。
ありがとうございます。FBとしておっしゃる通りなのですが、県民としていい足りない部分があるので更に追記させていただきます。。
かなり特異な選挙でした。ゼロ打ちとはいえ斎藤陣営も相当薄氷の勝利です。勝因は複数あったと思います。「小池百合子のいない都知事選」は実に的を得ていて、小池さんくらい自民票や組織票をまとめられて知名度がある方が立候補されていれば決して勝てなかったと思います。
また、地方選挙としては異例の投票率、普通にやれば普通に勝つ選挙で無党派の風に負けた。陣営の失策があるのは間違いなく、SNSやN党が無党派の風を増強させた一面はあると思うので、そこを総括する方が多いのですが、組織票の離脱も少なくない今回の選挙、最大の要因としては上述の通り、最後はやはり政策で選んだ方が多かったのではと考えます。
N党が盛り上げたスキャンダルを投票行動に直接結びつけた人のほうが少ないと思うんですよね。
文書問題は複雑で専門家でも意見が割れる点もあり、未だに背景を誤解している方も多々見受けられます。一方、1000億県庁改築見直し、天下りの厳格化、県庁の勤務中喫煙是正。斎藤知事が役人に嫌われる要素としては満貫で、こうした状況から、「役人に嫌われ、陥れられた」という構図が、有権者にはわかりやすいストーリーとして響いたと思います。
特に印象的だった斎藤知事の演説に兵庫県は県立高校の予算が全国で46位というのがありました。
いや、本当に兵庫の学校、汚いんですよ、、
学校のトイレが綺麗になった、プールが改修された、は多くの地元有権者が共感したテーマだったと感じます。
中高同級生有志の斎藤はそんなことをするやつではないという必死の訴え、実際の選挙演説をみて知事の二面性が故意であれば逆に凄いなと。何かしらの信念をもって行財政改革をしていると感じました。
そしておっしゃる通り、山陰地方の投票行動は都市部とはまた違っていると思います。三宮や姫路の集客や熱狂は凄かったですが、私はむしろ田舎の選挙活動の集客に驚きました。あんな田んぼばかりの田舎でよくこれだけ人を集められたなと。斎藤知事は評価が分かれるので、実際にこの目でみてやろうという人も多かったと思います。そして斎藤知事はナヨっとしてて話もそんなに上手くない、力強さはなく、不器用さが見え隠れします。しかしそれが、むしろ誠実さとして評価された部分もあったはずです。その横でしばき隊が大暴れ、田舎の年寄りは驚いたと思います。
既存の勢力に立ち向かい、その結果迫害を受ける立場と認められ、大衆からの支持を得る。
この現象は特に田舎において、ネットではなくリアルな場で展開されたのでは、田舎特有の口コミ文化で「斎藤さんそんなに悪い人に見えないわよねぇ」が関西のおばちゃん間で展開されたと考えます。
実際みて露骨なパワハラをするタイプではないのですが、本省あがりのワーカーホリックで、そのやり方にまわりがまったくついていけなかった可能性はあります。黒い部分は片山元副知事が担い幹部公務員に相当嫌われていたのは事実でしょう。
こうした複雑な要素が絡み合いながらも、最終的に有権者の支持を得た斎藤知事の勝利は、兵庫県政にとどまらず選挙のやり方に大きな転換をもたらす契機になると思います。
全国紙などでは県民がデマに踊らされた、風に流されたとえらいいわれようですが、若い人の投票活動と高い投票率でえられたこの結果は県民として大変誇らしく思っています。
なるほど。コメントを拝読して2つのギモンが湧きました。
* 活動家のみなさんが地方にも出張してきていたということですが、これすべてボランティアなんだろうか?
* 仮にリアル展開(実際に見た斎藤元彦さん)が重要だったとすると、今俎上に上がっている「SNS対策」には何か効果があるのだろうか?
追加のコメントをありがとうございました。
個人的に今回の斎藤知事に関して思うことは、不信任決議案をだすのが早すぎたのではないかということです
調査に時間をかけるべきだったかもしれないし、やめさせるのではなくて、改めさせるほうがよかったのかもしれないです。
あと、個人的に「死んで詫びる」または「死んで抗議する」ような日本的なやり方はやめたほうがいいと思いました。ただ、彼が生きていたら、ネットで誹謗中傷を受けまくる可能性があるので、それはそれで大変だなと思いました。
そうなんですよね。なんとなく勢いで決めちゃった感じがします。記憶をたぐると、なんとなく「斎藤元彦悪玉論」に傾いて行き、さらに対決姿勢を示そうとして(不信任決議に乗らない議員たちを批判できますから)勢いで出したら、維新が乗ってしまいい全員一致になった……みたいな感じだったと思うんですよね。ノリと空気。
ただ真面目に考えようとすると当時の記事を検証しないといけないのでそのあたりでちょっと面倒になって考えるのをやめてしまいました。