ABEMAで少子化対策についてやっていた。当ブログではこのところ働き方と収入(どうして徐々に背中に石を積まれるような感覚になるのか)について考察しているがその議論に接続されている。
様々なアイディアが投入されたが議論の最後に竹中平蔵氏が横から入ってきて絶望的な結論に持ち込んでいた。「日本はこのままシュリンク社会に向かうだろう」という。
司会者が若いせいもあるのかこの絶望的な主張に誰も反論できなかった。手に触るものすべてを黄金に変えるミダス王を想起した。全てのものを絶望に変える稀有な才能をお持ちのようだ。
竹中氏の発想こそが「徐々に背中に石を積まれる」感覚を作り出しているが、働き方だけでなく少子化にも及んでいるのだと感じた。
おそらくダイジェスト版なのだと思うが最初の議論は「第三子にすべての支援を投入し1000万円を分配すべきだ」という議論から始まる。これに女性たちが反論するが反論に対する言語化はなかった。
代わりに言語化すると次のようになる。そもそも第一子・第二子を産むことじたいが「無理ゲー(ゴールが達成できないゲーム)」化している。にも関わらず第三の子どもの出産にだけ支援をするという提案だ。それでは誰もゲームそのものに参加しなくなるだろう。
ここから女性たちの反論が始まるが、最終的に女性の待遇の話=労働慣行の話に流れてゆく。つまり、正規・非正規の待遇格差・賃金格差をなくすべきという議論だ。
- 出産か仕事かを選ばなければならないのがおかしい
- 出産を経験すると非正規雇用があてがわれるためキャリア上で大きなマイナスになる
- 結果的に女性と男性の賃金格差が大きい
出産そのものが「人生というゲーム」のペナルティになっているのだから出産・育児に参加する人が増えないという議論である。「生物学的に無理」という主張もあった。NHKがかつて人類の育児の歴史について語ったドキュメンタリーがあったなと思い出した。ヒトは共同保育を進化させてきたためそもそもお母さんが家庭で子どもと置き去りにされるような状況を遺伝的に想定していないという議論だった。
生物学的にも社会制度的にも「女性の生き方」が無理ゲー化していてその中の一つに育児と出産がある。ということでこれが見出しとして採用されている。
しかし、ここから少しトーンが変わる。当初「婚外子を認めるべき」という極論を唱えているかに見えた参加者が「実は地方で公演をこなしている」と告白した。「なぜそれを先に言わないのだろうか?」と思った。
実は地方ではとんでもないことが起きていることを示す統計的実例が次々と列挙され参加者たちの顔色が少し変わる。
女性たちは地方から東京に流出しているのだそうだ。このため地方では男性が余っている。製造業の担い手として働くひとも「中小企業の坊っちゃん」たちも嫁さがしに苦労しているそうだ。逆に「中小企業のお嬢さん」たちは嫁探しには苦労しないという。
この人は「経営者の人たちは計算だけはできますから統計的な事実を伝えると「これは大変だ」とおっしゃいます」と述べていた。随分ないいようだとは思うが危機感を訴えても全く動こうとしなかった地方の男性たちの無理解に対する怒りがあるのかもしれない。
さてここで満を持して竹中平蔵氏が登場する。この発言が議論をすべて破壊してしまう。ものすごい破壊力だった。
- 小泉政権のときから働き方改革を訴えてきたが誰も言うことを聞かなかった。だからいまさら女性の待遇改善を訴えても無駄である。
- 残業代を増やせというが「時間給労働から成果型労働に変えてゆくべき」だ。
- もう何をやっても無駄なのだから「せいぜい実験的な資金の投入(第三子に1000万円)でもやって無駄ならやめてしまうというのがいいのではないか」。
ここで議論は終了となった。竹中氏の発言は暴論だが「なぜ暴論なのか」について改めて整理してみよう。この竹中氏の発想が「低生産性長時間労働」の原因になっている。
まず竹中平蔵氏の発言は「日本の大半の労働者は無駄に働いている」と考えている。だから「時間給」をやめて「成果給」にしなければならないという。一見正しいと感じる人がいるかも知れない。
企業にはサイクルがある。それが起業・成長・キャッシュカウ・衰退と死である。厳密には起業の中にポートフォリオを作り事業を分散化すると良いとされる。しかし事業が複雑化すると官僚化などの別の弊害が起こり新興企業に破壊(創造的破壊)される。
竹中氏の「効率的に働いた人たちだけが報酬を受け取るべきだ」という成果主義の考え方はキャッシュカウ(これは搾ることができる牛という意味だ)にはよく当てはまる。
しかし起業が経年劣化するとこの考え方は成り立たなくなるだろう。企業を解体し新陳代謝を起こさなければならない。ところが日本は「企業は世代を越えて受け継がれるもの」という老舗信仰がありこれが成り立たない。
さらに乳が出にくくなったキャッシュカウを活かすために派遣労働(これこそ竹中平蔵氏の事業だった)が蔓延することになった。日本の企業価値の厳選は従業員の中にあるマニュアル化されていない知識(暗黙知)だ。派遣労働者はこの暗黙知の枠外に置かれている。これは派遣労働者にスキルアップの機会を与えなかったが、企業内の知識継承プロセスに大きな傷をつけた。企業成長の源泉となる知識は揮発・蒸発したがしばらくの間誰もそれに気が付かない。
つまり
- もう搾っても何もでてこない牛から乳を搾ることができたものだけが給料を受け取りなさい
と言っている。
確かに佐々木朗希や大谷翔平のようなスーパースターはでてくるだろうが彼らは日本の企業は選ばないだろう。日本のプロ野球はメジャーリーグへの踏み台にしかならない。結果的に生産性の低い労働だけが残されることになった。日本の起業家たちはこの砂漠のような状況で新しい井戸を掘り続けなければならない。
これでは労働者が疲弊するのは当たり前だ。
女性たちは「とにかく今の制度はなにかおかしい」とは感じているが、それがどのように形作られてきたかは理解していないのだろう。ただ「地方にいてもいいことはない」と考えて地方から離脱し「もう出産・育児というゲームは無理だから」という理由で子育てに参入しなくなってしまう。
こうした徒労感の背景にあるのは随分と乱暴な産業改造論だ。アプローチが雑すぎるので効果が出るはずはない。
労働改革議論を主導しているのは価値を生み出す事業を手掛けたことがない政治家とすでに経年劣化して価値を生み出せなくなった企業経営者だけである。彼らに緻密な議論の組み立てを要求するのはおそらく無理なのだろうという気がする。