先日「ご意見募集」とした川上発言だがコメントは付かなかった。専門家たちは動揺したようだが一般には伝わらなかったようだ。実は「石破茂氏が実はアメリカから独立したがっているのでは?」という問題だった。
石破茂総理が内閣官房参与に任命した川上高司氏のサイゾーのインタビューが日米関係の識者に衝撃を与えた。日本の完全独立論に触れていたからである。川上氏のというより川上氏を任用した石破総理の「真意」に対する懸念が生じ日米関係の専門家や政治家の間に衝撃が走った。日経新聞の英語版がアメリカの関係者に取材をしたことでさらに大きな騒ぎになっている。
最大の問題は日本人が「この手の変化」に対して戦略的かつ組織的に動けないという点にある。
川上氏の発言についてはすでに分析した。表面上攻撃対象になっているのは議会襲撃事件を肯定しているように受け取られかねない箇所だが実際には「日本の真の独立」発言が識者たちを刺激したのだろう。なおこのサイゾーの記事は現在削除されているようだ。騒ぎの大きさがうかがえる。
中国が台湾の独立を決して認めないようにアメリカも日本の独立を認めることはない。ただ、台湾は事実上北京共産党とは別の政権によって統治されており日本も形式的には独立国である。この2つの折り合わない現実を「文脈の高さ」で糊塗しているのが現在の東アジアの現状だ。糊塗という言い方が気に入らなければ微妙なバランスをうまく保持していると言い換えても別に構わない。同じことだ。
頼清徳総統のほのめかしが北京の共産党政府を刺激するように、石破氏のほのめかしもワシントンを刺激しかねない。石破茂候補(当時)のハドソン研究所への寄稿を巡って日米同盟関係者の間には動揺が走り「ハドソン問題」という人もいた。川上氏の核兵器についての発言を検索すると「独自で核兵器を持つべきだ」とする主張が検索できる。「戦後最悪の状況、露朝同盟の締結 ―日本には核武装しか選択肢はない!―」という記事が見つかった。
さて、イスラエルのネタニヤフ首相はヘブライ語と英語のメッセージを切り分けることでアメリカ世論に「イスラエルの防衛」を売り込んでいる。ただその一方でバイデン政権からの司令を無視して独自路線を突っ走っている。また韓国にも核武装論がある。この核武装論を背景に尹錫悦政権はアメリカと交渉し「事実上の核共有を手に入れた」と主張した。
この核兵器共有・核武装はどうやら石破茂氏の持論でもあるようだ。「冷戦期の遺物「核共有」にこだわる石破首相の思考」という批判記事を東洋経済で見つけた。
アメリカ合衆国は非常に興味深い国だ。相手が何かを要求すればそれに応じた取引を始める。一方で何も要求しないと一方的に要求を高めてくる。大陸にある国家は本能的にそれがわかっているため、時に強気に思えるような発言を使ってバランスを取っている。
ところが日本はそうではない。最初の朝廷は奈良盆地に作られた。大和川を通じて大阪湾とつながっているが途中に生駒山地があり守られている。京都に移った朝廷は貿易の本拠地を那の津(今の博多)に置きそれを奥まった太宰府で守ろうとした。また京都に入るためには瀬戸内海を渡り淀川を登る必要があった。つまり本質的に「引きこもり」傾向がある。丁々発止のやり取りを嫌い距離を取ることで対応しようとするのだ。
今回の「真の独立」をほのめかす川上高司氏の発言は次のように伝わった。まず一部の日米同盟に関心がある人たちが騒ぎ出した。玉木雄一郎氏がこれを拾う。「ゆ党」批判があり、石破政権との距離を置くために利用したのだろう。
これを産経新聞が拾い「「ディープステートとの戦い」石破政権の外交ブレーンが陰謀論 玉木代表が「危うい」投稿」と言うタイトルを付けた。
この懸念を比例復活でかろうじて永田町に戻ってきた長島昭久氏が拾った。こちらはストレートに「真の独立論」が問題だとしており「政治家がこれをコントロールする」と言っている。
ところが、日経新聞のアジア・英語版がアメリカの高官に発言を取り「これはただではすまなくなった」との懸念が広がっているのだ。
韓国やイスラエルの事例では「戦略的な情報の利用と交渉」が行われている。だが日本はそうならない。議論はあっという間に拡散し「感情的に懸念」に彩られた憶測と議論が広がってしまう。当然アメリカ合衆国は「日本の(石破茂氏のではない)」真意を掴みかねることとなる。
アメリカにそれなりのパイプを持つ長島昭久氏が政権に居残る事ができたのは幸いだった。選挙区では敗北していて比例復活だった。ただしアメリカの外交安全保障の人脈はハリス政権の側に集結しつつある。つまりトランプ政権が誕生してしまうと日本は一から人脈を構築しなければならない可能性が高い。
もともと日米同盟を高く売り込みたいトランプ氏がこれを奇貨とし「日本は真の独立をしたいんですよね」とチャレンジしてくる可能性もある。ハリス氏が大統領になることを祈るばかりである。
今回の一連の騒ぎからわかるのは、おそらく日本の言論空間は変化に対応できないであろうということだ。この程度の発言でも動揺が走り「ああでもない、こうでもない」と議論が始まる。その議論は怯えに彩られており議論はまとまりを見ない。
特に今回の騒動では石破茂総理が何も発言をしておらず彼が実際に何を考えているのかがさっぱり見えてこない。仮に彼が独自核武装論を密かに信奉しており川上氏を任用し続けなおかつ日本との人脈が乏しいトランプ氏が次の大統領になった場合、何が起きるのかを想像することは不可能である。