台風から変わった温帯低気圧が東に抜け、日本列島は行楽日和となった。政局的な動きも「連休で一時お休み」となり目立ったニュースがない。土日にかけて各テレビ局が今回の選挙結果についてまとめているが高齢者が戸惑っているという印象だ。前例がなく過去の蓄積から予想ができないのだ。まず、若者の特徴について分析した上で高齢者が何を戸惑っているかについて考えてゆく。
TBSの報道特集、NHKの日曜討論を見た。さらにダイヤモンド・オンラインの「衆院選で長瀬智也も標的に…芸能人の政治的発言を若者が「ダサい」と言い放つワケ」という記事を参照する。TBSの報道特集とダイヤモンド・オンラインの記事を総合すると次のようなことがわかる。
- 若者は自分達の関係のあるテーマにしか興味を示さない(タイパ思考)
- 若者は政府に対する抗議はダサいことと考える(アウトサイダー忌避)
- 若者は政党やテレビ局が提示したアジェンダには興味を示さず「切り抜き」で自分達が好きなように編集したがる(二次創作欲求)
このため若者にとって政治は他のコンテンツと同様に「消費されるもの」になっている。
玉木雄一郎氏が成功したのは
- 長尺の「フリー素材」を準備し
- 切り抜きに合わせてメッセージを調整した
からである。
一方で立憲民主党や共産党が失敗したのは
- 自分達のアジェンダに理解を求め
- 有権者を自分達の運動に動員しようとした
からだ。
ここから現在の国民民主党の主張が必ずしも玉木氏の主張とは言えないということがわかる。おそらくこの路線は参議院選挙までは続くだろうが、その後はどうなるかわからない。
この「政治は消費」という考え方は非常に重要である。コカコーラがまずいからといってコカコーラに抗議する人はいない。そんなことをしても「馬鹿だ」と言われるだけだろう。
ではなぜこれに高齢者は戸惑っているのか。いくつかの要因がある。
「識者」の経験が役に立たない
高齢者は「前例」から未来を予測している。前例が崩れたことで成り立たなくなった。新しい有権者の投票行動は明らかに彼らの経験しなかったものだ。
田崎史郎氏は「何か大変なことが起きる」と予想している。またNHKの日曜討論に出てきた社会学者は「十分な統計がないから何が起きているかわからない」と思考停止状態に陥っていた。政治学者は「有権者の組織化が進んでおらずポピュリズムに陥る可能性が高い」という。
彼らはなんとかして「あるべき姿」に有権者の意識を戻そうとして目の前で起きていることを否定しようとしている。
動員ができない
高齢者の戸惑いを意識する上でもう一つ重要なのが「動員」の概念だ。
そもそも高齢者が若者に選挙に行ってほしいのは自分達の生活を支えてほしいからである。つまり自分達の運動の支え手(労働力)を必要としている。ところが若者にはそのような気持ちはない。それどこか「自分達は搾取対象になっている」ことに薄々気がついている。
今回テレビ局は盛んに玉木雄一郎氏を呼んだり話を聞いたりしている。これは玉木雄一郎氏が「若者の心を掴んだ=つまり数字を持っているスターだ」という認識があるからだろう。
つまり高齢者が玉木雄一郎研究をするのは「どうやったら若者が自分達の暮らしや運動を支えてくれるか」を見つけるためなのだ。
だが玉木氏がテレビに出たくらいで若者がテレビに戻ってくることはないだろう。若者はすでに自分達で編集できる自由を手に入れている。テレビにできるのはその状況を認めて受け入れることだけだ。CDが配信に変わった時の状況に似ているが、おそらくテレビはこれを受け入れてゆくだろう。
日本の過疎地域を研究すると「若者には戻ってきてほしい」が「自分達の暮らしを変えるつもりもない」と考えていることがわかる。有名な(反発も引き起こした)BBCの「日本は未来だった、しかし今では過去にとらわれている BBC東京特派員が振り返る」という記事がある。
既存の政治もテレビも今や過疎の村になりつつある。組織に頼り「新しい若者」を動員したがっている公明党は世代交代路線を放棄したそうだが、幹部たちは先の見通しがあるわけではないと時事通信に答えているそうだ。さらに創価学会の若い信者たちもこれまでのように幹部のいうことを聞いて投票するということはなくなりつつあるようだ。
自分達を肯定する材料が見つからない
今回、もっとも分析が進んでいないのが「支持率が下がったのに交代を求められていない」石破総理という問題だ。各種世論調査で同じような結果が出ている。最新ではJNNで「支持率が下がったが石破総理の降板は求められていない」という調査が出た。
そもそもなぜ高齢者は選挙にゆき自民党に投票してきたのか。おそらくそれは自分達の過去の暮らしと選択を肯定するためだったのだろう。自民党を選択し続けることにより「自分達は正解の側にいる」と再確認してきた。これはひっくり返すと「なぜ若者が選挙にゆかないのか」となる。若者は自分達を肯定してくれる代表を持っていないから選挙にゆかない。
つまり高齢者も若者も「投票によって政権を選ぶ」という主権者意識を持っておらず、現状の肯定を通して自己肯定がしたいという気持ちを持っている。そしてそれが実現しない場合は「何も決められない伯仲状態の方がいい」と考える人が出てくる。
そればかりか、少子高齢化が進み、地方は過疎化し、経済は良くならず、物価は上がり、統一教会の問題は解決せず、裏金問題で自民党は言い訳ばかりをしていた。このため高齢者の中に少しずつ「もう選挙に行っても今までのような満足感は得られない」という気持ちも生まれているのではないかと思う。
Comments
“高齢者はなぜ国民民主党の躍進とハングパーラメントに動揺しているのか” への2件のフィードバック
「自分達を肯定してくれる代表」というが、何が自分にとっての「肯定」なのかを言語化して自覚する必要がありますが、思いのほかこれが難しいのかもしれません。今時の若者でなくてもそうだと感じます。
昔だったら、デモが自分にとっての「肯定」が何なのかを主張するものだったかもしれません(ただのガス抜きである部分もありますが)。
最近だと「白票」でも意味はあるんだと主張する言動がSNSでも見られますが、今の政権を見ていれば、何も書かれていない「白票」からメッセージを読み取ろうとする政治家がいるかは疑問です。それならば、同じ無効票でも自分の思いのたけを投票表紙に書きまくり、それがある程度の数になったほうが意味はあると思います。有効ではない投票にも意味があると主張しながらも、何も書かない「白票」を勧めるあたりが日本だなぁと思いました。
しかし、そもそもそこまでの行動が起こせないのが、若者ではない私も含めた今時の日本人なのでしょう。
この「誰かに自分を肯定してほしい」という欲求がよくわからないんですよね。なのでいつも理解に悩んでしまいます。言語化できないからこそ対象を求めると思うんですが理解できないのでそれが正しいかどうかよくわかりません。
逆に「正しい」と思い込んでしまうと一気に動くんでしょうねえ。