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首班指名選挙か首相指名選挙か

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テレビでは首班指名選挙に向けた動きが活発化したと伝えている。当初11月7日に特別国会が開催されるとされてきたが11月11日以降に延期されそうだ。

テレビは一貫して首班指名選挙と伝えているが田崎史郎さんだけが首相指名選挙と言い続けていた。田崎史郎さんはなぜそう言い張るのだろうかと思った。さらに次の日のテレビ朝日を見るとテレビ朝日は「総理大臣指名」となっていた。

【修正】タイトルと本文が首版指名になっていたのを修正しました。

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首班指名は戦前(明治憲法下)で使われていたものが今でも慣用的に使われているだけのようだ。いわば単なる慣習ということになる。

明治憲法は天皇主権であり国会(国民)に主権はない。つまり国会は総理大臣を指名する権限がない。だから国会で指名されただけでは首相とも総理大臣とも呼べない。

このため読売新聞は「[選挙用語]首相(首班)指名選挙…衆参両院で実施」と言っている。国民主権を前提にすれば国会が総理大臣を指名できるので「首相」が正しいが慣用的に「首班」も使っているという立ち位置なのだろう。時事通信も首相指名選挙という言葉を使っており田崎さんが国民主権という建前を明確に守っている事がわかる。政治において建前は非常に重要だ。

ただこれを意識して番組を見たところ「総理(大臣)指名」になっていた。首相は「Prime Minister」の訳語なので憲法上の「正しい」用語に入れ替えたのかも知れない。

ただ憲法の規定は意外と複雑だ。国民主権を明確に打ち出しつつ統治のために天皇の形式的な権能を残しているためである。

7条の天皇の国事行為は議会の解散と選挙の公示だけ(この規定のため告示ではなく公示と呼ばれる)なのだが6条には天皇は国会の指名に基づいて天皇が任命すると書かれている。

54条の規定に基づくならば衆議院が解散したあとの選挙のスケジュールとその後の特別国会の招集には期限がある。そして特別国会では全てに優先し首班を決めることになっている。つまり実質的には「次の総理大臣は54条にしたがって速やかに選出される」ということになっているが、厳密に言えば「国会を開催してから各会派が揉めた」としてもタイムリミットはない。ただしこの場合は別の憲法規定により深刻な問題が生じる。だからこそ特別国会の前に合意がてきていることは極めて重要である。

形式的に天皇が任命するという事実と国会が国民主権に基づいて総理大臣を任命するという事実を矛盾させないためには首班指名選挙のあとすぐさま天皇に任命して貰う必要があるということになる。

日経新聞のように早くから決選投票について書いていた新聞もあったが今回の様な事態を想定してた社はなかった。読売新聞は今になって決選投票の事例を挙げている。1955年体制が作られたあとの事例は2例だけだそうだ。ただし厳密に言えば1979年の事例は自民党の内紛によるものだったため少数与党状態は1994年だけと言うことになる。

衆院での決選投票は過去に4例ある。1979年は自民党内の権力闘争による内紛のため、大平正芳氏と福田赳夫氏の決選投票となり、17票差で大平氏が指名された。94年は、自民、社会、新党さきがけが立てた村山富市氏と、新生党や公明党などが推す海部俊樹氏が争い、村山氏が選ばれた。

特別国会での首相指名、投票で過半数に達しなければ決選投票に…衆院では過去に4例(読売新聞)

まず小沢一郎らが画策し自民党と共産党を仲間はずれにした細川内閣が作られる。つまり野党大連合による政権交代だ。烏合の衆だった細川政権は長続きせず羽田内閣が作られる。ところが小沢一郎が社会党外しを画策したことで社会党が反発した。指名選挙時には過半数が獲得できたがその後に用済みになった社会党を捨てたわけである。羽田孜首相は政権交代の枠組みが作れなくなり1人内閣の時間があった。

前提が崩れたのだから首班指名からやり直せばいいのにと思うのだが、それは別の憲法規定によって困難になっている。

憲法の規定によると特別国会が招集されると70条の規定によりすぐに内閣が総辞職する。つまりここで権力空白が生じる。ここで内閣総理大臣が指名できないと憲法が想定しない「権力の空白」が生まれてしまう。だから本来は「特別国会が始まる前に何らかの枠組みを合意しておく」事が必要だという結論が得られる。

小沢一郎の画策はこの憲法が想定していない深刻な事態を引き起こしたことになる。権力の空白を避けるためには指名された総理大臣が組閣する必要があるが前提条件が崩れてしまったためにやむを得ず一人内閣を作ったということなのだろう。

羽田政権の間に自民党は社会党への接触を試みる。結果的に河野洋平総裁が総理大臣を村山富市氏に譲り「自・社・さ(さきがけ)」内閣が作られた。このときの首班指名では過半数を獲得できた政党連合がなく決選投票となったというのが読売新聞の記事の意味になる。対抗したのは「改新」が推す海部俊樹氏だったが形式上は無所属ということになっているようだ。

今回の事態を受けて田崎史郎氏は盛んに「橋本内閣の前例を踏襲すべき」と言っている。自民党は単独過半数が取れなかったが首班指名自体はさきがけと社会党の閣外協力で乗り切った。その後自民党は一本釣りを試み不足分を埋め合わせた。

改革の志を持って自民党を飛び出し小沢一郎氏について行った人の中に石破茂氏がいる。だが次第に小沢一郎に失望することになり新進党までは付き合ったもののその後無所属で立候補した。その後「埋め合わせ要員」として復党している。

石破茂氏が「公認が得られなくても勝ち抜いて戻ってこい」と主張する裏には自信の成功体験があるものと考えられる。

今回の「未曾有」の事態を受けて盛んに過去事例が検討されているが全く同じといえる当事例がないことがわかる。またこれまでの事例では党派の人脈を越えて政党再編を進めることができるような剛腕政治家がいたがそうした人がいなくなっている。

例えば、2000万円問題で明らかになったように森山裕幹事長がSNSを背景にした世論を理解できていないのは明らかだ。そこで田崎史郎氏は「幹事長ポストが務まるのは菅義偉氏だけ」と言っている。これは確かにその通りだ。つまり個人的なパイプを使って人を集められる人は菅義偉さんくらいしかいないのだろう。

国内外の情勢が目まぐるしく変化しSNSによって厳しく政治が監視される中で属人的なやり方によって人を結びつけるという従来の政治運営が行き詰まっている証と言えるだろう。

とはいえ政策協定ベースの政治協力の文化はこの国にはない。おそらく憲法規定にしたがって空白を避ける工夫は11月11日までに行われるのだろうがその後の国会運営はかなり大変なことになりそうだ。

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