石破総理が「裏金議員」の処分を決めた。時事通信の記事を読んだあと「なんだこれだけか」と思ったのだが、Xを見ると高市支持のネット保守たちは大いに騒いでいるようだ。安全保障関連の動揺には全く関心を寄せず「石破憎し」に走る姿は「さすが少年ジャンプ的だ」という気がする。
日本人でありながら「日本人の考えることはよくわからない」と思うことがある。論理的に解決するほうが簡単なことでも感情を優先させて議論が複雑化する。
時事通信の「旧安倍派幹部ら非公認へ 衆院選、少なくとも6人―自民」を読んだ限りでは「総括できないから安倍派幹部に泥をかぶってもらうんだな」程度のことしか感じなかった。
これは実質処分になっていない。「党員資格停止」なのでそもそも公認できるはずがない人に処分が開けたばかりの高木毅氏を加えているだけだ。二重処分に当たるという批判を避けつつ「何かやった感」を出そうとしたのだろう。
さらにここに、衛藤征士郎、小田原潔、菅家一郎、中根一幸、宗清皇一、簗和生、大塚拓、柴山昌彦、関芳弘、高鳥修一、西村明宏、細田健一、和田義明、丸川珠代が加わる可能性があるという。だが、「地元の理解」という曖昧な表現が使われており、それが地元の有権者なのか都道府県連なのかがよくわからない。
いずれにせよ小泉進次郎氏は「自民党は毅然とした処理をしました」と胸を張っている。そもそも公認されるはずがない人を「公認しない」と主張することで「いかにも新しいことをしました」と言おうとしているのだろう。小泉氏らしい主張展開だが、小泉氏はこの手の表現に慣れきってしまい総裁の座を逃した。
このように論理的に考えると「何も言っていないのになにか言った体裁になっている」ことが責められるべきなのだろう。
だが日本人は論理をまるで気にしない。
産経新聞が「自民に激震「比例重複認めず」 非公認対象広がる 党勢後退すれば首相の責任問題も」と書いていてこれがXのネット右翼界隈で流布している。
産経新聞が問題視したのは「比例当選を認めない」という点だったようだ。ただこの記事を読んでも「なぜ産経新聞がこれを問題視しているか」がよくわからない。
Xの反応を見ると、安倍派の議員に「不利」になるからという理由で「石破茂は安倍派を恨んでいるのではないか」という感情にヒットしたようだ。
日本人は「感情から論理を形成する」という基本を常に頭の中で復唱しない限りこの反発は予想できない。
仮にネット保守と言われる人たちが本当に日本の安全保障について心配しているならばアメリカで起きている民主主義的な地殻変動について分析し現在の憲法改正議論と石破茂氏が主導する安全保障改革について批判的に分析すべきだろう。そのうえで高市早苗氏が提唱する議論が新しい現実に合致するかを見極め、仮に相違点があればその相違点について高市氏に働きかけけるべきだ。
しかし「少年ジャンプ的」にはキャラはすでに決まっているものであって読者の仕事はそこに自分の感情を乗せ毎週の雑誌代を払うだけである。
すでになんとなく石破・高市両氏のキャラは決まっている。ストーリー展開的には「本来主人公でない人が主人公になっている状態」でありこれは最終決戦に向けた前フリに過ぎない。あとは作者が途中で休載宣言を出して「ストーリーが未完」にならないことを祈るばかりである。
なお、これは完全な蛇足なのだが「少年ジャンプセオリー」に関しては、コメント欄やQuoraなどでいくつかの異議申し立てが発議されている。
まず少年ジャンプにも「悪役の事情を考慮した物語がある」そうだ。むしろ別の雑誌のほうがこの傾向が強いという人がいる。
また、日本の作劇方法は一神教的な伝統を持っている西洋に比べると「悪役に分がある物語」が作られる傾向が強いという事情がある。これについて指摘する人もいた。例えば、アンパンマン(バイキンマン)やガンダム(シャー・アズナブル)などが挙げられる。
これはこれで面白い議論が展開できそうだが「政治」のコンテクストに混ぜ込んでいいものなのかという気持ちがありQuoraのスペースのコメント欄などで議論することにしている。