前回の「産経新聞」の件では石破茂新総理によって議論を取り扱っている人たちが動揺しているのではないかと書いた。ただ「産経新聞の記事だけでそう断じるのはいかがなものか」と感じる人もいるだろう。
これまで日本の防衛・安全保障議論はアメリカが作ったストーリーを日本側で解釈しそれを総理大臣らが国民に流布するという形で安定してきた。立憲民主党にはこうした機能はないのだから「やはり自民党でなければダメだ」ということになる。自民党の錦の御旗は「天皇権威」と「アメリカの代理」と言う既成事実から成り立っていると単純化できる。
つまりこれが揺らいでしまうと国内議論が動揺する。かといって立憲民主党はこれを代替できない。自国の憲法と安全保障問題を触ることができないのである。議論の内容はそれほど難しくないが、感情的には受け入れが難しい。
ある専門家はアメリカの媒体に「石破総理は言っていることがコロコロ変わる人だから過剰に心配しなくていい」と言う意味の説明をしたそうだ。「みなされることがある=私がそう言っているわけではないよ」ということなのだろう。
またイギリスのある媒体は石破総理の発言はエキセントリックだと一刀両断しているという。その背景は不明だが「日本ごときがアングロサクソン同盟に対抗するな」という不快感もあるのかも知れない。差別的といえば差別的だが同盟とはそういうものである。この記事を引用している関係者は多い。
この流れに反発している人がいる。
アメリカ合衆国とのパイプが太いと言われ総理大臣の補佐官に就任した長島昭久氏は「心配ご無用」と反発している。長島氏は石破氏を誘導しつつ彼のカウンターパートたち(それが誰なのかはよくわからないが)が望む方向に議論を持ってゆきたいのだろう。
そのためには専門家たちの同意が必要だ。
ただし国会議員と内閣は「日本国憲法の存在によって同志国と同盟国を分けなければならない」という事情を背負っている。おそらく憲法を改正しこのあたりを整理したいという気持ちはあるのだろうが、自民党の憲法案はそうなっておらず石破総理も持論を封印した。
長島さんにとっては苦しい日々が続く。
専門家の反発の背景には日本の「正解権威主義」がある。物事に正解があると考える傾向が強い日本人は既存の事実から「正解」を積み上げてきた。
ところが石破総理は基本にあった「国連体制」と「集団防衛(日米同盟やNATOなど)」を混同した発言を行い彼らの積み上げてきた正解を破壊・無効化しようとしている。これは憲法議論でも言えたことだが、専門家は「私達が作ってきた正解に立ち戻るように」と呼びかけている。
そもそも総理大臣はアメリカが作ったストーリーを日本人向けに翻訳する役割しか求められていないのだから「ストーリー作りに口を挟まれては困る」わけだ。だから識者たちはこれを軌道修正しようとしている。だが石破さんはこれを理解できていない。
さらに、実際にはその大本のアメリカの情報発信が変質している。これが現れているのが先に例示したウクライナとNATOの関係だ。
確かに民主党は同盟の大切さを訴えている。だが、アメリカの中間層の感覚を代弁するJDヴァンス氏は次のように発言している。そしてこの発言はアメリカの大衆に受け入れられている。だからトランプ氏はヴァンス氏を副大統領候補に選んだ。
トランプ氏が大統領選挙に敗れればトランプ氏の影響力は退潮してゆくだろうが、それはあまり重要ではない。すでに同盟を疑問視し「アメリカは自国対策を最優先にすべき」と考える人が増えていることこそが重要だ。
日米同盟の専門家は確かに「集団安全保障と集団自衛」の議論は整理できるかも知れないが源流にあるアメリカの民主主義はコントロールできない。
バンス氏は今年4月に米国で成立したウクライナ支援法の採決で反対票を投じた。2022年には「ウクライナで何が起ころうと、あまり気にしていない」と述べていた。
アングル:米副大統領候補バンス氏、ウクライナ巡りトランプ氏より「過激」との声 欧州で警戒感(REUTERS)
ところがここに外からややこしい人が入ってきた。石破総理の発言は時代遅れであると指摘することで自身のプレゼンスを上げようとした闖入者がいる。たまたま野党代表者だった。
小川和久さんがこれに「本当かよ」と突っ込み玉木雄一郎氏は「射程」を訂正した、
いわゆる識者と言われる人たちはアメリカが提示していた正解を元に自分たちの議論を組み立てている。だからその文脈を読まない石破茂新総理を黙らせたい。内側からそれを操作しようとする人もいれば、外に向けて「あんなのはデタラメだから心配するな」という人もいる。さらに個々に外から闖入者が入ってくるとまとまる議論もまとまらなくなる。
おそらく重要なのは「本当は誰も正解なんか知らず議論もまとめられない」という(これまでも知られてきた公然の)事実なのだが、それが露呈すると困るので議論が白熱しそうになると「言い過ぎました」とか「大したことを指摘したわけではありません」として議論の破れを修復しようとしている。
ここからも石破茂総理がパンドラの箱を開けてしまったことがわかる。日本人は憲法と自国の安全保障の議論を触ることはできない。あとは一般国民にこれが知られないようにするだけである。だからこっそりブログに書いている限りは問題にはならないだろう。