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「戦争」と「戦争の間」を繰り返す中東 レバノン情勢が悪化

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大規模な戦争に突入しつつあるとの指摘が出てている。レバノン南部の死者は558名になった。南部からは避難民が出ているそうだがどこにも行場はない。だが。大規模な戦争はそもそも終わっていなかったのではないかと感じた。

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一種異様な状況だ。ネタニヤフ首相は南レバノンの市民に退避を呼びかけた。普通自国民を退避させるときには安全確保が前提になる。だが、イスラエルの首相はレバノン人の安全には責任も興味もない。ただ「どこかに行け」と命じるだけなのだ。

ロイターがヒズボラとはなにかという記事を書いている。レバノン内戦のときにイランの革命防衛隊が組織した。ではレバノン内戦はなぜ起こったのか。

イスラエルがPLOを追放する。紆余曲折を経てPLOは軍事力を持ったままレバノン内に入った。キリスト教徒(レバノンには典礼カトリック=マロンと呼ばれるキリスト教徒がいる)は国内の政治バランスが崩れることを恐れてイスラム勢力と闘争を始めてしまった。これがレバノン内戦だ。

アメリカなどの西側諸国はキリスト教支援という名目で地域に介入するのだが、大使館が襲撃されて200名近い死者が出た。アメリカ世論は撤退に傾きアメリカはレバノンから撤退した。

つまり、そもそもレバノン内部からイスラエル攻撃が始まったのはレバノン内戦以前からということになる。最初はPLOが主導していたがそのうちにイランの革命防衛隊が支援するヒズボラが入り込んだ。いずれにせよこの地域はレバノン国軍が掌握していない。

そもそもなぜこんな事になったのか。もともとレバノンはマロン派の国だったそうだがフランスがイスラム地域と組み合わせた。フランスは辺境タイ人を「ラオス人」と呼び勢力を維持している。タイは中心部のタイ人、東北部の辺境タイ人、南部のイスラム教徒が暮らしていてタイの政治の混乱の一つの要因になっている。

フランスは現地にもともとあった住民対立を巧みに利用し「民族」や「国家」を操作し統治に役立てていたが、これが現在の様々な混乱の大元になっている。南レバノンはこのときにレバノンに組み入れられたようだ。

その意味ではこの地域の紛争は植民地時代の処理の失敗に起因する民族紛争が根っこにあり「そもそも解決したことがない」ことになる。内戦後そこにイラン勢力が入り込んだ。

つまり、戦争と戦争の間の時期が交互に来ているだけともいえる。そのたびに状況が複雑化し怨嗟の連鎖が世代を超えて引き継がれる。

パネッタ元国防長官は「大規模戦争に入りつつある」との認識を示したが、実は比較的安定していた「戦争の間」が終わりつつあるだけかもしれない。

ただし変化もある。

これまでの中東紛争は欧米・イスラエルとイスラム勢力という対決図式だった。だが今回は中国が「正義はイスラムの側にある」と声高に宣言した。この動きは米中対立を背景にアメリカを牽制しているだけと考えることもできる。とにかく相手から攻撃されたらそのロジックをそっくりそのままお返ししないと気がすまない国だからである。

だがNATO加盟国であるトルコも欧米非難に転じた。非欧米勢力の発言権が増していて、かつてのように彼らを無視したままで軍事行動を起こすことが難しくなりつつある。

おそらく日本政府は「従来通りの日米同盟を基軸にした安全保障政策を維持し」「緊張感を持って注視する」だけなのだろうが、国際環境は今大きく変わりつつある。そして、台湾海峡問題を抱える我が国や中国・台湾に住む在外日本人にとってもそれは決して他人事とは言えなくなっている。

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