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「男児死亡事件で王毅外務大臣と会談」がムダな理由

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上川陽子外務大臣は総裁選挙を中座して国連の会合に参加する。9月の国連は外交のシーズンであり日本のプレゼンスを確保するためには必要な措置だろう。王毅外務大臣と会談し深圳の男児死亡事件について改善を要請する予定になっているそうだ。

そもそも「会談」になるか「立ち話を会談と説明するか」は別にしてはかばかしい成果は得られないと思う。否定的な見込みよりもその理由付けが重要だ。

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このところ「潤」という存在が認識されるようになった。中国に興味がある人ならすでによく知っているだろう。中国の富裕層が日本に逃避している。師弟の教育を日本で受けさせるためである。そのために拠点となる不動産も確保している。彼らにとって今の日本はバーゲンセール状態だ。

  • 日本の方が治安が良い
  • 国際教育の質と価格のバランスが良い

ことが理由とされている。

今回の議論は「反日教育批判」が先行した。このため日本人が狙われたのだろうということになっている。確かにそうかもしれないのだが、背景には中国人が抱える経済不調と将来の見通し不安がある。特に若年の失業率の高止まりはかなり問題視されている。

中国にはまともな報道はなくSNSも規制されている。では中国人はどう対応するのか。黙って逃げ出すのだ。

この「潤」の事例から中国人が中国の将来に疑問を持っていることがわかる。だからこそ先行きが確かな国に師弟を送り込みネイティブレベルの教育を受けさせる。インターナショナルスクールに人気が高まっているが地方の進学校もターゲットになっているようだなどとワイドショーでも取り上げられていた。

つまり中国人も治安を不安視しているほどの状況が外務大臣の命令くらいで改善するはずはないのだ。

この現実は日本人にとっては直視するのが辛い現実だ。

かつて日本の駐在員と言えばエリート中のエリートだった。特に発展途上国に派遣される人はお手伝いさんを何人も雇日本では考えつかないような生活を送っていた。しかし、日本の経済が先細ると事業開拓ではなく余剰人員の派遣先としても中国が選ばれるようになる。いわば「出稼ぎ」である。危険な状況を覚悟して生活を支えなければならない。当然生活の質は悪化しそれだけ多くの危険にさらされることになる。

端的に言ってしまうと、中国人の富裕層は師弟に日本で安全な教育を与える余裕がある中国に派遣される日本の労働者は必ずしもそうではないということになる。つまり立場が逆転しつつあるのである。

これをテレビのワイドショーで指摘できるコメンテータがいるとは思えない。短い時間の中でこのようなことを主張すれば確実に炎上するだろう。

だが「炎上覚悟」でもこうした問題提起はしておくべきだと思う。「潤」についての記事にはこう書かれている。富裕層と言ってもそれほど高い敷居ではない事がわかる。ではなぜこれが問題になるのか。

中国人移住者の事情に詳しい「サポート行政書士法人」主任コンサルタントの王云(おう・うん)氏は、「経営・管理ビザ」(2015年にできた在留資格で、日本での事業に500万円以上を出資することなどが主な条件)や高度人材の枠組みで来日する中国人が増えてきているという。

中国から日本へ大脱出する「新富裕層」驚きの生態(東洋経済)

イタリアでこの程移民労働者が声を上げた。彼らはヨーロッパのトスカナ州のアパレル産業で搾取されているという。「ヨーロッパは新疆ウイグルの問題で中国を批判していたが自分たちもやっているではないか」と批判したくなる。だが、このアパレル産業が実は中国系なのである。

中世のトスカナでは繊維産業が王侯に厳しく管理されていた。例えばプラートでは高級織物を扱うことは禁止されクズを使った産業が発展してゆく。かつては二流の産地だったのだがファストファッションの勃興によりメインストリームへと昇格したと言う歴史がある。今ではプラートに拠点を置く有名生地メーカーもあり日本でも広く知られている。

水資源にも恵まれたことからこの地には、古くから繊維産業が発展した。当時は、フィレンツェ以外では、高級な布の生産が禁じられていたことから、プラートは中~低品質の羊毛を使った布を生産しており「ぼろ切れの都」と呼ばれていた。

イタリアの伝統産地を変貌させる中国企業プラートにおける地場の繊維産業の衰退と中国人アパレル企業の興隆(注)

しかしその影で過酷な価格競争も起きていた。そこに入り込んだのが中国人だった。自分たちは師弟にイタリア語を習わせるが労働力も中国から連れて来る。表に出てくる中国人とそうでない中国人がいる。

これがわかったのがコロナ禍だ。中国の経済が改善したこともあり中国人労働者が引き上げた。ここで初めて実態より多くの中国人が働いていたことがわかったのだ。ロイターの記事は「シャドーエコノミー」と書いているがイタリアの労働当局が当地の状況にどこまで関心を寄せていたのかはわからない。

プラートの中国人コミュニティーがリセッションによる厳しい打撃を被ったのは、中国系住民の多くが非公式経済(シャドーエコノミー)で働いているためだ。これは、前年度の企業の納税申告書に基づく政府支援を受けられないことを意味する。

アングル:コロナ禍で帰国者続出、イタリアの中国人コミュニティー

イタリアのブランドのはずが中間工程は中国というものも増えていてイタリアブランドの危機でもある。

いずれにせよ、富裕層誘致を狙って中国人をいれると出稼ぎ労働者が付いてくる。彼らはホスト国の労働基準に自発的に従うことはないだろう。そもそも「国が禁止しない限り何をやってもいい」ということになっている。多くの人口を限られた共産党が指導する国ならではのやり方である。

実際に日本でも日本語が通じない中国人街ができている。だが、ここは「日本の海外労働者管理はイタリアより厳格である」と思いたくなる。

インド料理店が増えているが働き手の多くはネパール人とされている。店にタンドールを置けばシェフを雇ってもいいと言う規制になっているため、タンドールブローカーなるものが流行っていると言う話がある。日本の海外労働者管理当局は慢性的に人手が足りないためどうしても外形基準を作って許可を出すという「印鑑行政」に走りがちなのである。

今回の問題は殺された男児のご家族にとっての悲劇であり一人ひとりの人権のために国が何をできるのかと言う問題がある。対アメリカは問題にならないことが対中国では問題になるという「差別」の問題もあるだろう。

しかしながら背景を探ってゆくと日中の国力の逆転や移民問題などにも話が広がってゆく。

だが、議論がその様な広がりを見せることはない。理由は2つあるようだが日本人は議論ができなくなっている。

まずマスコミが問題を整理したうえで指導者に問うという機能を果たさなくなっている。例えば今回の問題について共通テキストを準備したうえで各総裁選候補者にぶつけるというような社が現れても不思議ではないはずだ。しかし、そうした腰を据えた報道はない。手元にある様々なイシューを小石のようにぶつけ一つひとつの反応で大騒ぎしている。

自称保守と言われる人たちにも共通の特徴がある。込み入った議論を面倒に感じるようになっているようだ。Quoraにこんなコメントがあった。

  • 上川陽子外務大臣ではダメだ。高市早苗氏ならガツンと言ってくれるだろうに……

確かに気持ちはわかる。だがこのコメントは「問題解決などどうでもいい」「日々の爽快感のほうが重要だ」と言っている。河野太郎氏が韓国の大使を呼びつけて「無礼である」と発言して話題になった。外務大臣による単なる歌舞伎でしかないが、今の日本のネット政治が求めているのはこのエンタテインメント性なのかもしれない。

このように日本の言論空間は栄養ではなく日々の爽快感を求める方向に流されているということができる。ファストフード化が進行しつつあるのかもしれない。

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