自民党の総裁選挙もいよいよあと一週間になり、このところ負担増の話も出てくるようになっている。
増税反対候補1名、先延ばし1名、その他7名が増税推進派だ。その中で特に反発されているのが小泉進次郎氏である。増税王子というあだ名がつき「増税勢力の急先鋒」とみなされている。苦労知らずの意識高い系というイメージなのだろう。
そんな小泉氏が提案したのが環境新税である。「ヨーロッパでもやっているから日本でも」という論拠のようだが欧米では評判が悪くなりつつあり「認識がワンテンポズレている」と言う気がする。
共同通信が「石破氏「法人税上げる余地ある」 小泉氏は炭素税創設を提起」と書いている。この記事だと小泉氏が炭素税創設をぶち上げた事になってしまう。実際には河野太郎氏が炭素税を持ち出し小泉氏がこれに乗っかる形で議論が進んだようである。
ただ、その乗っかり方が極めて雑だった。ヨーロッパに取られる前に自分たちが取ってしまおうというのだ。論理的に考えれば「日本で取ったらヨーロッパで取られない」保証はない。また、新税の創設について聞かれて「ヨーロッパもやっているからウチも」などと国会で説明すればおそらく炎上するだろう。
小泉進次郎・元環境大臣「上げるべき税は何かというと、河野さんが言った炭素税。なんで必要かっていうと、もしも炭素税を導入しなかったら結局のところ、ヨーロッパと貿易をするときに、ヨーロッパで税金とられる。ヨーロッパに払わなければいけない税ではなく、国内でちゃんと環流する税を仕込むことが大事だと思う」
【自民党総裁選で論戦】 河野氏、小泉氏が炭素税の導入について提言
小泉進次郎氏には増税王子というあだ名が付いている。政治家の家に生まれた世間知らずで環境問題に熱心な意識高い系という印象が付きつつあるようだ。世間の認識がよく分かるのが解雇規制問題である。
維新は既得権益の打破と政府の効率化を訴えた政党だった。このため解雇規制を言い出しても「既得権益打破のための政策なのだろう」と受け取られている。つまり有権者は何を言うかではなく誰が言うかに注目している。文脈のほうが重要なのだ。
小泉進次郎氏の好感度が高かったのは「自分も子育て中である」だったからだが、このところ「議論をしないままで国会を解散し岸田総理の増税路線を正当化する狙いだろう」などとまで囁かれている。立憲民主党が支持を伸ばさない前提(つまり自民党の総裁が自動的に総理になるということだ)になっているのは少し悲しい気もするのだが、小泉氏には「エスタブリッシュメントの側に立って庶民の負担を増やす手助けをする」という評価が定着しつつある。
大蔵・財務官僚出身の小林鷹之氏も増税派と見られる。だが彼は自分の出自をよく理解しており予防的な発言に終止している。このためディフェンスが弱い小泉氏が目立つと言う事情もある。
さらにタイミングも悪かった。確かにドイツやアメリカでも環境課税がトレンドだった時期がある。ドイツでは緑の党が躍進しアメリカでは民主党躍進の原動力になっている。経済に余裕があるときには「地球のことを考えましょう」という政策は一定数支持される。
しかしドイツではこのところ経済が急速に悪化している。ウクライナの戦争によるエネルギーコストの増大という要因もあるのだろうが人々は「経済が停滞したのは意識高い系の左派政策のせいだ」と考えるようになっている。緑の党は急速に支持を失い代わりに「自分たちの生活が重要だ・移民を排除しろ」という極左勢力が台頭。左派と新自由主義の連合であるショルツ政権はシェンゲン条約の精神を尊重できなくなり「一時的な国境管理」に追い込まれている。
アメリカでも動揺の動きが起きている。トラック運転手の労働組合であるチームスターズの組合員たちの多くは「環境規制を緩和する」と宣言しているトランプ氏を支援する。トランプ氏は「ストをやるなら解雇を覚悟せよ」などと発言しており労働者には全く優しくない。
アメリカの動きは非常に複雑だ。環境問題のような民主党の中核的な提案から労働組合が離反しているとは見られたくないためメディアはこの問題について語りたがらない。むしろ「マッチョで特殊な労働組合が差別意識もあり離反したのではないか」と分析したがる傾向がある。
小泉氏は「ヨーロッパでも取っているから日本でも」と主張する。だが欧米では環境問題がその他の問題と接続され「自分たちにとって誰が敵で誰が味方なのか」というおそらくは落とし所のない議論に発展している。
日本で仮に小泉進次郎氏が総理大臣になり「ヨーロッパでも取っているのだから日本でも取ります」と主張したとする。秋の値上げラッシュが始まっており生活状況が改善しない中で「意識高い系」の増税が提案されれば、おそらく国民は反発するはずだ。
とはいえ、他に受け皿となる野党があるわけでもない。人々の屈折した意識は「政治には頼れないのだから自分たちで節約して生活を防衛するしかない」ということになってゆくのかもしれない。欧米では「誰が敵で誰が味方か」と言う議論になりつつあるが、日本では「政治家の中に自分たちの味方はいない」という考え方が浸透しつつある。