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中流不在のフランスで新しい首相に抗議するデモ

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フランスで左派が組織するデモが行われた。動員人数は約30万人だったそうである。きっかけは「新しい首相」への抗議だった。穏健右派を打倒して出てきた改革政党が右と左から押され政治的に不安定な状況が生まれている。背景にはエリートによって支配されるフランス独特の政治事情があるようだ。

つまり「既存政党をぶっ潰す」として生まれた政党が実はエリートの延命につながっていたと人々が気づきつつあるのだ。

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フランスではマクロン政権に対する不満が高まっている。もともと「改革」を期待されていたマクロン氏の「再生(En Marche)」だったが、結果的には年金制度改革などフランス国民に痛みを強いる改革を推し進めた。

また外交ではフランスの存在感を増すためにウクライナへの積極的な関与を呼びかけていた。フランスは伝統的に強い国でなければならないという支配層の人たちの気持ちを代弁していると考えることができる。

市民革命を経験したフランスだが、結果的に中央集権的な伝統は排除できなかった。このため伝統的にフランス国立行政学院(ENA)の影響力が強い。ENAはイエローベスト運動で「エリート支配の象徴」とみなされマクロン大統領(自身も出身者)が廃止を明言していた。マクロン政権下で首相だったアタル氏はエリート養成校のパリ政治学院の出身。つまり国家官僚的な人たちが政治を支配すると言う時代が長かったのである。

マクロン氏は「伝統政党をぶっ潰す」ことを期待されたが実際にはインサイダーにすぎなかった。フランス国民はこれを見抜きつつある。

マクロン大統領に対する運動は最初はイエローベスト運動などの生活改善要求だった。しかし次第に右派が主導する反EU・反移民の声が高まってゆく。このようにマクロン氏の改革政党は旧来型の保守を抑圧する形で生まれ、結果的に右派からも左派からも恨まれることになった。そして最終的に共和党の党首に頼ったのである。共和党のもともとの源流の1つはドゴール大統領の政党だそうだがフランスの穏健右派政党は改名を繰り返している。

転機になったのはEU議会選挙だった。反EU・反移民・ウクライナ支援削減などを訴える極右国民連合が圧勝する。これに焦ったマクロン氏は議会解散を行う。ところが第一回の投票では極右国民連合が圧勝した。

マクロン氏の与党連合は左派を勝たせることで極右の議席を減らす戦略を取り、極右国民連合は過半数が獲得できなかった。しかしマクロン氏は左派に政権を任せるつもりはなかったようだ。左派が推す首相を認めず暫定政権でパリオリンピックを乗り切った。そして、その後で共和党のバルニエ氏を新しい首相に任命した。

しかしバルニエ氏が率いる共和党の議席は47名に過ぎない。一方で左派新人民戦線は193名の大きな世帯だ。議席を多く獲得した政党から首相が選ばれずわずか47名しか議席を獲得していない政党が首相を輩出するのが許せないと左派は考えている。

左派のメランション氏は「脱資本主義路線」と言われることが多い。つまり穏健左翼ではなく極左的傾向が強い。企業や富裕層を敵視している。フランスは本来共和国だがかなり階層社会になっていて労働者階級と企業・富裕層が分離している。この「穏健な中間層のなさ」がフランス政治に不安定さをもたらしている。地方の人々は移民排斥と伝統的なフランス社会への回帰を求め極右政党を支援するが、都市に済んでいる労働者階級は資本主義の打倒を望んでいる。

こうした文脈を踏まえると「青いおじさん(ディオニソス)」で文化破壊だと批判されたパリオリンピックのオープニングセレモニーの意味がわかってくる。右派はフランスは移民たちに盗まれたと感じている。また左派は現体制をアンシャンレジーム(旧制度)と考えており打倒の対象だとみなしている。

だからこそこれらの政府打倒運動を「多様性と革命」の枠組みに押し込めて管理可能な形にコントロールしておきたかったのだろう。日本人やアメリカ人はあれを「文化破壊」とみなしたが、実はそれ以上のものがフランスではすでに破壊されているのかもしれない。

中間層を無視したエリートのエリートによるエリートのための政治が今行き詰まりつつあるが、国民の間にもフランスをどこに向かわせるべきかと言うコンセンサスはない。

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