スーパーにコメがない状態が続いている。地域によってばらつきはあるようだがQuoraで聞いたところ「2週間コメを見ていない」とか「いやウチは4週間だ」という声が上がっていた。
にも関わらず坂本農水大臣は「対応が遅かったとは思わない」と開き直っている。国民生活よりもコメの価格維持のほうが重要なのだろう。
今となっては目新しいニュースではないが岸田政権の国民不在の姿勢がよく現れているエピローグだった。坂本農水大臣は舞台上から「我々にとって重要なのは一人ひとりの国民ではなく国家制度なんですよ」と雄弁に語っている。
スーパーにコメがない状況をもう一度整理しよう。スーパーにコメがない。冷静な対応を呼びかける維新の音喜多駿氏の投稿には「今コメがほしいのだが!」とか「あんたは他人事でいいよな」などというリプライが多く付いていた。国民的な反感は高まっているようだ。音喜多駿氏は「何らかの対応が必要」と政府に提案を丸投げしており無責任な印象はある。
日本のコメの需要は減っている。パンやパスタなど美味しいものがたくさんある。このため肥料代高騰からコメ農家の利益が下がっても政府は有効な対策を打ち出せなかった。産経新聞は2022年末に「コメ農家を襲う「三重苦」 価格下落、肥料・燃料高騰 離農加速懸念も」という記事を出している。
ところが円安とインフレが進行するとコムギの値段が上がる。そこでコメの需要が回復し「安いコメ」が不足気味になった。最後のトリガーはおそらく8月初旬に九州南部を襲った地震だろう。「備蓄」が想起されコメが足りなくなる。こうして都度買いをしているスーパーなどからコメが消えた。事前契約で購入しているコメは残っており弁当店やコンビニからもコメは消えてない。おそらく事前契約をしているところが多かったのではないか。
そもそも農家も卸も「都度買い」で安くコメを買い叩くスーパーを面白く思っていなかったはずだ。だから農水省が卸売に対して「配慮」を申し出ても卸売は何もしないだろう。むしろ「今回のようなことがあると困りますから事前契約を増やしてください」と申し出る可能性もある。
ここから先は市場原理の世界だ。割高になったコメは買われなくなり需要はもとに戻ってゆくはずだ。米農家が存続できない状況は続き供給が減り米農家の存続は厳しくなると予想される。
仮に日本政府が「国民(これは消費者もコメ農家も含まれる)」を中心に置くのであれば、消費者と農家の対話を促進し「コメ農家が持続可能でありなおかつ国民にもコメが届くような制度」を提案しているはずである。しかし今回の坂本農水大臣の話の進め方を見ていると彼らはそう考えていない。
TBSはまずコメが欠品している状況を映し出し「問題は今ここにあるではないか」とする。卸売業者に円滑なコメの流通を申し出たがなんの役にも立っていないと見せたいのだろう。そして、坂本農水大臣の「対応が遅かったと思っていない」という発言を伝え、最後に政府備蓄米がうず高く積まれている状況を写して短いプレゼンテーションを構成している。
つまり政府備蓄米がこんなにたくさんあるのに私達はコメのない状況を押し付けられていると言う印象が残る構成になっている。
そしてその理由については文章で次のように書いている。価格が崩れることを恐れているのだろうと言う分析だ。
大阪府の吉村知事は、政府に備蓄米の放出を求めていますが、坂本大臣はコメの供給が増えることで価格が下がることなどに懸念を示し、備蓄米の放出に改めて慎重な姿勢を示しました。
坂本農林水産大臣「遅きに失したと思っていない」 コメの品薄、対応の遅さ問われ
このことから農林水産省には「消費者目線」はなくあくまでも「今の制度を維持すること」を前提にして意思決定していることがわかる。仮にこれが農業保護につながればよいのだが、この政策で護られるのは農家ではなくJA(農協)とコメの実質的な価格管理政策だけである。
岸田政権の不人気の原因は「なんとなく国民の期待からずれている」という漠然とした違和感だった違和感はあるが実際にはそれが何なのかはよくわからない。ところが今回のコメ政策の進め方を見ると農林水産省が見ているのは一人ひとりの国民や農業の担い手ではなく農林水産省が築き上げてきた制度とJAと言う組織だということがわかる。
よく自民党は国家観がある政党だといわれる。これに納得する人もいればそうでない人もいる。おそらく自民党という政党が考える国家観は「箱(組織と制度)」であり一人ひとりの国民ではないのだ。
そして、これに違和感を感じることができない人もいれば「彼らの視線には国民がいない」と目ざとく察知する人もいる。つまり感性の違いが無党派層と「自称保守」を分けているのだろうと思う。鈍感で自分を大きく見せたい人ほど「自称保守」を名乗り続けるんだろうがもはやそれは鈍感力の印(スティグマ)でしかない。