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政策の中に国民がいない 岸田政権の「女性移住支援金」が事実上の撤回

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あくまでも個人的な懸念なのだが、最近、国民と政治の意思疎通の不在が気になっている。部分最適化が進み日本全体の社会的ポテンシャルが活かせなくなってしまうからだ。

岸田政権は特に対話しない・対話できない傾向の強い政権だったが、最後までその症状は直せなかったようだ。

今回は「女が結婚を機に地方に移住すれば60万円くれてやる」という政府の提案について考える。世論の反発を受けて事実上の撤回となった。

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時事通信が「結婚移住に支援金 事実上の撤回」という記事を書いている。世論の反発を受けたためと書かれているが「そんな検討をしていたのか」と思った人も多かったのではないだろうか。

世論の反発を受けて事実上の撤回

東京新聞や産経新聞の記事も合わせると23区在住または在勤の女性が・結婚を機に・地方に移住すれば・現行の移住金60万円に加えて・60万円程度を支払う(東京新聞産経新聞は具体的な金額を書いている)と言う制度だったようである。

おそらく背景にあるのは車座集会だろう。裏金問題を受けて地方の声を吸い上げる集会を行った。自民党が結果を公表しているが、衰退する地方の焦りはかなり大きかったようだ。

地方の厳しい声続々 車座集会の結果公表

地方に住んでいる自民党支持者たちは「地方に人を引き付けるためには自分たちも変わらなければ」などと思っていない。また、無党派層はすでに政治には何も期待していない。一方で問題を共有して新しい政権を作りたいと言う意欲も持たない。スマホに目を落として自分たちだけの世界に閉じこもっている。スマホの中には「推し」との仮想的ではあるが甘く楽しい結び付きがある。

自民党支持者たちは他人に変化を強要し、無党派層は政治不信を通り越して政治をスルーしている。主権者意識が強すぎる国民と諦めきった国民は同じ現象の2つの極である。いずれにせよこんな状態では政府が働きかけても国民は動いてくれない。60万円はそれなりの額だがそれでも動いてくれないのだ。

東京新聞はデジタル田園構想(デジタルと言っているのにお金で地方移住を促進するとはずいぶんアナログだなあとは思うが)で移住したのは1万6000人に過ぎないと書いている。そもそも制度の存在すら知らなかったと言う人もいるかも知れないし60万円なんか引っ越し代と仕事探しの間の生活費で消えてしまうと言う人が多いだろう。

政府の新しい提案に対するメディアの論調は極めて厳しかった。「なぜ女性だけなのだ」「60万円で歯止めになるのか」という制度の問題も提起されていたが「そもそも女性が都市に流出するのは地方の生活や職場慣行が女性蔑視的だからだ」という声まででてきた。潜在的な不満が噴出しかねなかった。

このままでは選挙対策どころか立憲民主党に票を献上することになりかねない。

女性が都市に流入する理由は地域における女性の生きづらさが根本にある

結局、この提案は撤回されることになったが、根本にある「なぜ地方から若い人(特に女性)が消えるのか」という問題は解決されないままだ。それどころか「下手に問題を掘り起こすと国中が大混乱に陥りかねない」という日本社会が抱える闇を垣間見ることになった。

安倍政治の後始末で大混乱した岸田政権は「聞く力」を発揮し車座集会を行った。すると「地方の衰退は更に加速している」という地方組織の不満が明らかになった。とはいえ自民党地方組織は「自分たちも変わるから協力してくれ」などとは言わない。単に注文を突きつけるだけだ。さらに「仕方ない」と諦めていた人たちは「周りもそう思っていたのか」と自覚することになった。また、自分たちの不満を言語化することで意識化した人もいるだろう。

政府は聞くことはできるが、地方の不満を抜本的に解消するアイディアを持っていない。そもそも課題を抽出し1つの形にまとめることすらできなくなっている。

会議室の中で思いついたのが「金を払えば国民は動くのではないか」というアイディアだった。これまでの実績が1万6000人にしか過ぎないのだからこれで状況が変わるとは誰も思っていなかっただろうが「とりあえず岸田総理の命令にゼロ回答というわけにはいかないだろう」と考えたのかもしれない。「議員たちが説明できる材料さえ与えてやれば自分たちは批判されないのでは」と言う気持ちもあったかもしれない。

この政策構想が公表されると都市に流れてきた女性たちから潜在的な不満が噴出する。私達が地方に残らなかったのは地方にまともな仕事がなく女性が従属的な役割を押し付けられるからだということだ。

これまでは一人ひとりが漠然と持っていた不満が共有されることで政治的アジェンダに発展しかねない。現に立憲民主党はそれを拾い政権批判につなげている。

このように日本は一人ひとりが「まあしょうがないか」と諦めている社会である。こんな状態で政府が御用聞きをしてしまうと潜在的な諦めが不満となって噴出し大規模な政権への批判となって吹き出しかねない。

最後に国民一人ひとりの不満もすくい取れないような今の自民党政府に「国家観がある」とされているのはなぜなのだろうという疑問が残る。国民のいない国家など単なる空虚な箱にすぎないと思うのだが、日本人はいったい何を「国家」だと考えているのだろうか。

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