先日パソコンを一台吹き飛ばした。OSをインストールしようとしたのだがうまくゆかず、シャットダウンもできなかったので電源を引き抜いたら、二度と立ち上がらなくなってしまった。「こんなことで壊れるのか」と思い、パソコンを分解した。よほど腹が立っていたのだろうと思う。モノに八つ当たりしたわけだ。気がついたら粗大ゴミになっていたわけだが、液晶は捨てるのにお金がかかる。急に惜しくなり「この液晶、何かに使えないだろうか」などと考えた。
いろいろ聞き回ったのだが「そんなことは出来ない」という声ばかりだった。パソコンショップの店員は「秋葉原でパーツを漁って自分で組立てろ」という。液晶パネルなどというものは各社がバラバラに作っているのだから統一規格などないというのである。液晶を再利用したいなどというバカなことを考える人はいないということのようだ。
ところが、調べてみると実際にこのようなことをしている人たちは大勢いる。しかし、情報はほとんど英語である。いくつか日本人の書いた文章があり、そこから熊本にあるパーツショップの名前を見つけた。なぜかページは英語だ。作っている人は日本人だと思う。日本語と英語で問い合わせたら英語で帰って来た。多分、日本人だなとは思ったのだが、アジア向けに商売をしているのかもしれない。返事には具体的な規格名が書いてある。LVDSという規格(一昔前の規格で主にディスプレイとFirewireで使われている)で、それに見合った「コントロールボード」を探せば良いというのだ。コントロールボードの価格は30ドルから50ドルであり、中国でボードが作られているということだった。「eBayなんかで取り寄せたら」という。
大抵の場合「そんなのは無理」というのは知らない人の台詞で、知っている人から見れば「別になんでもない」問題だということが多い。この液晶問題もその一例だと言える。液晶TVでは基礎的な技術なので、家電メーカーの技術者は知っている人が多いのではないかと思われる。
日本人のパソコンユーザーはエンドユーザー化が進んでいるのだろうと思う。自作PCを作る人はいるのだが高性能のグラフィックボードを積んでゲーム機を作るなどという用途が多いのでないだろうか。こうしたパーツは半ば製品化され高い値段で取引されている。一方で、海外には基本的な技術を理解した上でDIYができる人がいるようだ。なぜそうなのかは分からないが。中古パソコンや修理のニーズが強いのかもしれない。
なぜ中国でボードが作られているのかも分からないが、製造業の中心地は中国に移りつつあるのではないかと感じた。日本の製造業というと金属加工などの触れるものが多い印象だ。手の感覚が活かされるので「職人技」で勝負できる世界だ。一方で中国は基本的な部品を効率よく組み合わせてソリューションを提供するのに長けているのかもしれない。エレクトロニクスの中心地は秋葉原ではなく深圳なのだ。
そう考えると、エレクトロニクスの分野では日本は中国に太刀打ちできないだろう。ニーズがあってもそれを実現する力がないからである。よく「若者の理系離れ」ということを聞くが、ものすごく優秀な人たちだけがもてはやされる一方で、技術者の評価は高くない。実際のは普通の技術者の集積が国力を作る訳だが、日本にはそうした中長期的な視点はないのかもしれない。これは政府がちょっと教育制度を弄っただけでは解決できそうにない問題だ。
ワークライフバランスが取れていれば、余暇で自分の好きな製品を作り、それを市場化するということができそうだが、日本の技術者にそのような時間があるかというのもいささか疑問である。働き方改革には「成長戦略につながる可能性がある」という視点がないのだなと改めて思った。