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戦国時代が始まる 自民党の派閥崩壊がもたらしたもの

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自民党の総裁選挙が行われている。今回の総裁選挙では派閥の崩壊の影響が多くでている。「党内の意見がまとまらず何も決められない」という状況は新しい総裁が選ばれても続くものと思われる。

日本人は窮屈な組織の論理を嫌い自由を夢見るが組織的な統率なしには行動できない。また、日本人は自分たちでデザインをして新しい組織の形を作ることはできない。そもそも話し合いができないからである。この状況は足利幕府が崩れてから戦国時代が続いた時代と同じなのかもしれない。

足利幕府が日本とを統治できなくなると有力な武将たちがお互いに争うようになる。応仁の乱が始まったのは1467年で織田信長が上洛したのは1568年だそうだ。つまり約100年の間混乱した状況が続いた。また最後の足利将軍である足利義昭が退位するのは織田信長の上洛後20年たった1588年だったそうである。この間日本は全く成長しなかった。日本が再び成長を始めるのは徳川幕府ができる1600年以降と言われている。

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岸政権で非主流派だった池田勇人らは「自由時間」を使い岸政権に代わる新しい政策を研究した。福田赳夫がそれを岸政権に持ち込もうとするが岸政権が倒れたことで池田政権で実行されるようになった。それが所得倍増計画だ。

今でも自民党にも政策集団の塊が人脈としては残っているようだ。二階派の小林鷹之氏は甘利人脈で引き上げられた。専門は経済安全保障である。おそらく、自民党の内部には個人的な人脈で結びついた専門家の塊が他にもあるのではないかと思われる。

だが、この政策集団も次第に「生き残り」に軸足が向かいつつある。小林氏は自分たちを復権させてくれるかもしれないと考える安倍派の若手に期待されている。つまり自民党には「議員の身分を保証してくれるなら政策は何でも構わない」と考える議員が増えている。

ではなぜこのようなことになったのか。日本の戦後の反映を作ったのはアメリカの戦略だ。当時のアジアには共産化の危機があった。そこで共産主義の温床になりそうな小作農を自衛農化し労使協調路線で労働組合を抱き込んだ。さらに為替を固定し安い円で製造業を優遇した。この戦略は成功し日本は資本主義のアジアにおけるショーケースとなり自民党の国民の信認は高まった。

つまり自民党はアメリカの政策に従いつつ良く具体的な政策は大蔵省や通産省の官僚に任せていればよかった。池田勇人が作った政策集団も元は大蔵省にいた人達によって作られている。

現在の日本で大衆が求める政策を実行するとどうなるのだろうか。それは現状維持である。日本の政治は中高年が支えている。彼らは日本の経済や医療福祉が良くなるとは考えていないが負担も増やしたくない。結果的に無謀な改革を避けて問題を先送りして逃げ切りたいと考える傾向にある。またマイナンバーカードの問題でもわかるように国民は変化に対応できない。

結果的に好まれるのは「今あるものを変えない」という現状維持のメッセージだけである。これを反映して現在の自民党は「延々と話し合いを行い結論を出さない」という戦略を取ることが増えた。

夫婦別姓について岸田氏は21年の総裁選で「整理がついていない」といい続けていた。結果的に岸田総理は3年半の間棚上げ戦略を続けてきた。これは岸田政権が様々な派閥に支えられた寄合世帯だったことの反映だ。

また、財政再建を優先するか積極財政を維持するかについての議論も進ままなかった。岸田総理は「デフレから脱却する兆しはあるがまだ実現できていない」いい続けると言う戦略を取った。そもそもデフレにもデフレ状態にも定義はない。単に党内の取りまとめができなかった。

岸田総理の時代は派閥同士の意見がまとまらず自民党は重要な問題について意思決定ができなかった。

しかしここで別の危機がおきた。派閥にはもう一つ「党内管理」という側面があった。

かつて田中派は総合病院方式と言われた。派閥が若手の選挙資金の面倒を見ていた。このため汚職などで摘発されるのは派閥のボスだった。だが、安倍派は「それぞれの資金はそれぞれが面倒を見るように」という方式に移行した。結果的に裏金手法が派閥内に蔓延し誰も全体像が把握できなくなっている。

派閥は実質的にそれを管理していなかったためあとから自浄作用を働かせようとしてもそもそも調査すらできない。これは不適切な集団との関係にも当てはまる。誰が統一教会と未だに接触を持っているのかという全体像が分かる人はおそらくだれもいないだろう。

岸田政権は「安倍政権の後始末に忙殺されて潰れた」政権なのだが、そもそも安倍政権は自民党の派閥の形骸化を背景にしていた。暗黙知として存在した派閥の様々な機能(政策の取りまとめ、人事の取りまとめ、資金と取りまとめ)が低下する。すると勝った派閥が人事を一括管理することになるのだから、当然政権派閥である清和会・安倍派の一人勝ちになる。安倍派は水ぶくれし派閥内管理ができなくなる。そして管理不能なところまで水ぶくれして最後には破裂してしまうのだ。

最初に崩壊した安倍派の若手は小林鷹之氏に期待する。萩生田光一氏は菅義偉氏の仲介で茂木派の加藤勝信氏に接近している。安倍派は消滅したが「復権を望む」議員が大勢おりこれが総裁選びで重要なファクターになるだろう。安倍派の若手は例えて言えばコピペ集団だ。安倍氏の主張をコピペして繰り返していた人たちは仮に小林氏が首相に選ばれれば、小林氏の政策をコピペするようになるかもしれない。

仮にこれが清和会・安倍派だけの問題であれば派閥の崩壊は安倍派だけで収まったはずである。

だが、実は他の派閥のすでに水ぶくれが始まっている。

麻生派は麻生派・甘利グループ・山東昭子氏らのグループの寄合だ。麻生氏は第一ラウンドで河野氏を支援するものと見られているが甘利氏は小林氏を支援するものと見られているそうだ。麻生氏は第一ラウンドで生き残った人の中で自分の意見を聞いてくれそうな人を選んで支援するだろう。だがこれは麻生派が政策を一切重要視しないから成り立つ戦略である。仮に財政再建派が最後の最後で麻生派を頼った場合には麻生氏が掲げる財務省優先主義を取り入れざるを得なくなる。これは岸田総理が置かれていたのと同じ状況である。だがこれは麻生派の総意ではない。強いて言うならば麻生副総理の好みの問題である。

茂木派はさらに複雑だ。もともと竹下派だったが中興の祖である小渕恵三氏の娘を将来の総理大臣にするのが悲願だった青木幹雄氏の影響が今でも生きている。小渕優子氏と青木一彦氏はすでに茂木派を離脱している。茂木氏は麻生太郎氏の支援を得られなかった。また加藤勝信氏は菅義偉氏に接近し安倍派の一部の支援を期待しているようだ。ここでも「竹下派とはどんな政策の集団なのだろうか」という問いは無意味である。

宏池会・岸田派の状況も見通せない。林芳正氏と上川陽子氏が名乗りを上げていて派閥内調整がどこまで進むのかに注目が集まる。

ある程度のまとまりを持っていた派閥が分裂して戦国時代のような混沌とした状態が生まれている。サブグループの連携や家臣が主君を裏切る下剋上が各地で見られる。彼らが意識しているのは武将の生き残り競争であって、そこに政策論争が入り込む余地はない。また派閥が持っていた党内統治機能も失われつつある。

目立った野党もない中「このままでは何も決められなくなるぞ」とは思うのだが、これが日本の破綻を意味しないというのもまた事実である。

株価と為替を見ると日本経済はアメリカの従属経済になっている。アメリカの経済の先行きが不安視されると株価はあっという間に下落する。しかし日本人はそもそも低調な経済に慣れているので株価下落で生活者暴動が起きるようなことはない。つまり日本政府がどんな政策を取ろうが(あるいは何もしなくても)大勢にさほど影響はない。

日本人は100年続いた戦国時代の始まりを見るように自民党の崩壊を外から眺めている。武将たちはそれぞれ戦に明け暮れることになるのだろうが、庶民の生活にはあまり関わりがなく、単にダラダラと衰退の道を歩み続けるのかもしれない。仮に野党が不在の状態が続くとすると、日本の有権者は闇鍋化した自民党に投票し続けるか、あるいは選挙にいかなくなるだろう。

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