さて、女性天皇を容認すべきだという二階さんの発言が議論を呼んでいる。ネットでは「Y染色体が……」というような議論が見られるのだが、女系天皇が容認されてこなかった理由はY染色体は関係がない。女系天皇が容認されてこなかったのは、日本人の独特の感性のせいだ。多分、議論している人たちは分かっていて言わないだけなのだと思う。
日本の歴史上天皇家の生まれではない人が天皇になろうとした事例があった。それが道鏡だ。有名な話なので、知っている人も多いのではないかと思う。Wikipediaには次のようにある。
大宰主神(だざいのかんづかさ)の中臣習宜阿曽麻呂(なかとみのすげのあそまろ)が、豊前国(大分県)の宇佐神宮より道鏡を天皇の位につければ天下は泰平になるとの神託があったと伝えた。 しかし、和気清麻呂が勅使として参向しこの神託が虚偽であることを上申したため、道鏡が皇位に就くことはなかった(宇佐八幡宮神託事件)。
この記述を読むと、女性天皇のもとで権力争いがあったことが分かる。そこで、道鏡を中心に据えれば緊張関係が収まるという案が出されたのだろう。孝謙天皇の時代は皇族を殺して系統を根絶やしにするようなことが横行していたようだ。このため天武天皇の家系から男系男子がいなくなり、女性天皇を立てて系統を維持するしか道がなくなってしまったのだろう。この後、結局天智天皇系が家系を存続させることになる。
Wikipediaには書いていないのだが、道鏡は孝謙天皇と親密な関係にあった」とされている。その「密接な関係」がどんなものであったかは不明だ。もし道鏡が子供を持てば、その人が天皇ということになる。孝謙天皇がどんなつもりだったのかはよく分からないが、孝謙天皇との間の子供だとすると、女系天皇が誕生していた可能性がある。
しかし道鏡は天皇にはならなかった。周囲の嫉妬心があったものと思われる。臣下はすべてピア関係にあり、ピアの一人が突出することを許さない文化がある。持って回った言い方だが「日本人は嫉妬心が強い」のだ。道鏡が選ばれたのは仏門に入っていて争いに加わらないという意味合いがあったのかもしれないが、祭り上げられたせいで争いに巻き込まれ、最終的には都を追い出された。
天皇家が尊重されるのは「誰も天皇になれない」からである。かといって、尊敬しているわけではない。その証拠に天皇が強いリーダーシップをもって政権を取った事例は、ゼロではないがほとんどないと言ってよい。後醍醐天皇の建武の新政があるが、足利氏に離反されあえなく崩壊している。これは天皇がピアの主導権争いに参加した事例なのだが、これに参加すると同じように排除されてしまうのである。
女系天皇だけでなく、女性が天皇になっただけで、閑かな緊張関係にあったピア同士の争いが始まるのだから、唯一の解決策は女性天皇を織の中に閉じ込めて「虫がつかないように」監視するしかないのだが、これは重大な人権侵害になるだろう。かつては皇女が身ごもることを恐れて結婚させずに閉じ込めておくということが行われていたようだ。
現在でも同じようなことは起きている。天皇家に娘を嫁がせた小和田家は国内政治に参加しないことが求められる。また黒田清子さんの夫が表に出ることはない。下手にピア同士の争いに関わると大きな問題に発展するのだ。
日本人が天皇家を敬っているのは「自分が絶対に天皇になれない」からだ。同時にそれは「アイツも天皇にはなれない」からである。このように牽制しているので、男系であっても臣籍降下した人を天皇家に戻すという動きもない。
現在の有資格者は東宮家1名、秋篠宮家2名だけということになっている。そのうち「誰も天皇になれなくなった」ことになりかねない。