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ブラジルは日本の反対側

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リオデジャネイロオリンピックが終わった。安倍マリオどうなの?という感想はあるのだが、多分個人的に嫌いだから喜べないだけであって、あれはあれでアリなんだろうと思う。
さて、今回はブラジルは日本の反対側だなあと思ったという話。リオオリンピックの開会式と閉会式を見て「ブラジルって多様性の国なんだなあ」と思った。中でも印象的なのは音楽だ。基礎に西洋音楽があるのだが、黒人のリズムやポルトガルの悲しげな音階などが合わさって独特の音楽が生まれたようだ。
さらに特徴的なのはアコースティック性だった。生の楽器の音や声の調子などが豊かさを醸し出している。
ただ、そのアコースティック性が際立ったのは、実は8分間の日本のショーのおかげではないかと思った。日本は西洋の文化を取り入れる過程でその現実味を徹底して剥離させてしまったようだ。音楽は複雑なリズムの電子音楽だったし、現実を徹底的に排除した二次元のアニメが多用された。それでも足りないと思ったようで「拡張現実」という原始的な現実が取り入れられた。
なぜ日本人がこれほど二次元のアニメを愛しているのかはよくわからない。漢字と仮名を扱うので抽象化能力が発展したのだろうというまことしやかな説があるが、そうでもしないとこの二次元愛は説明できない。
あのショーが成功したのは「外から見える日本」を客観的に見ていたからなのだろうと思う。長野オリンピックのように日本の伝統文化(これはアコースティック性に満ちている)ではなく、AKBやEXILEでもなかった。デジタルデータのほうがコピペされて遠くに届くのかもしれない。
同じように非西洋圏で西洋文明を模倣したのにも関わらず、あくまでも生身の音楽になったブラジルと、徹底した非現実性を追求した日本というのは、やはり地理的にも文化的にも対極に位置するのだなあと感じた。