先日、国務省のミラー報道官が長崎の平和祈念式典を「セレブレーション」と表現したという記事をご紹介した。ハフィントンポストが会見の内容を詳しく書いている。要約すると「過去に大統領がコメントしたりしているのでそれで十分だ」と言っている。ミラー氏はオバマ大統領の選挙キャンペーンなどに携わっており民主党が原爆投下についてどのような認識を持っているかがよくわかる。
ミラー氏はまず「イスラエルが国際社会から排除されてはならない」とイスラエルを擁護した。そのうえで記者たちがアメリカの原爆投下について質問すると次のように答えている。
彼の認識によれば長崎平和祈念式典は単なるなにかのお祝いであり、何回か出席しておけば良いという程度の集まりに過ぎない。
ミラー報道官はこの点、「エマニュエル大使は広島の式典に出席しました。そして複数のアメリカ大統領もこれまでにコメントを述べたり、祈念式典に出席したりしています」と返答。
「長崎に原爆投下したアメリカの大使出席は特に重要では?」問いただされた米国務省の見解は
長崎の式典は「いち式典」であり取るに足らないという立場だ。東京スポーツはその意味では踏み込みが足りなかったのかもしれない。ミラー氏は「この取るに足らないいち式典」をセレブレーション(お祝い)と表現している可能性があるからだ。広島で亡くなったり戦後苦しみ続けてきた人と長崎の被害者はまるで別だが「なんで同じような時期に二回も式典をやるの?」と言う気持ちもあるのかもしれない。
「これに対する私たちアメリカの立場、そしてこの祈念式典に関する私たちの日本への敬意は十分に示されています。エマニュル大使が今回のいち式典に出席しなかったということに勝るほどです」という立場を示した。
「長崎に原爆投下したアメリカの大使出席は特に重要では?」問いただされた米国務省の見解は
ミラー氏はオバマ大統領の選挙キャンペーンにも関わっており民主党の価値観を熟知している。その意味ではこれはミラー氏本人というより民主党的な価値観を反映していると言ってよいだろう。ノーベル平和賞を受賞したオバマ氏のイメージの保持は重要だが特に被害者感情を意識したものではないということだ。
またガザ地区の問題についても「ガザ地区で何人殺されようがアメリカの選挙キャンペーンには関係がない」と考えている可能性は高い。重要なのはイスラエルを支持するユダヤ系アメリカ人の寄付を絶やさないことである。
日本人は信条に合わせて事実を再解釈する。中国の台頭に怯えアメリカの覇権にフリー・ライドしているという認識がある以上、今回の問題は「なかったこと」か「取るに足らないこと」として心理的に処理されるであろうし、それは自動的に進むことになる。おそらくこんな感じだろう。
- とは言え、我が国は敗戦国なのだから仕方ない
と同時にアメリカの(特に民主党が主張する)民主主義的価値観擁護は単なる「お題目に過ぎない」という静かな認識もまた広がってゆくものと思われる。日本にも民主主義や人権を守るべきであると考える人は大勢いるがその立場はますます苦しいものになるのかもしれない。
なお、こうした空虚な看板としての民主主義はアメリカの政治にも波紋を広げている。そもそもアメリカの民主主義では自分たちの暮らしと優位性を維持できないと考える人達が増えている。上からの運動としては「独裁と三権分立の破壊」が希求され、下からの運動としては「アメリカを再び偉大に」という動きになる。
民主党側にもこんな出来事があった。ハリス氏のラリーではパレスチナ支持の人々が騒ぎ出した。会場はUSA!の合唱でこれを打ち消そうとしたが騒ぎは収まらない。そこでハリス氏は対応を余儀なくされたが「24時間頑張って対応している」と応じるのが精一杯だった。頑張っても成果が出なければ意味がない頑張りに過ぎない。この騒ぎは民主党内での出来事だったため事なきを得たが、3回行なわれると言われているテレビ討論会で「成果は出ないが頑張っているんです」などと言おうものなら、おそらく大惨事になるだろう。