エマニュエル駐日大使の長崎平和祈念式典のボイコットが波紋を呼んでいる。G7の大使が追従したため大騒ぎになり、長崎市長が「政治的な意思決定ではない」と釈明する騒ぎになっている。だがホワイト・ハウスは問題について把握していないと表明している。つまりエマニュエル駐日大使の個人的動機に基づいた行動である可能性がある。岸田総理は出席するものと見られていたが南海トラフ地震という「言い訳」ができてしまった。ここはきちんと出席し日本の外交的独立性を主張してもらいたいところだが「あの岸田さんなんだよなあ」という不安は感じる。
エマニュエル駐日大使はバラク・オバマ政権で大統領首席補佐官を経験している。仮にハリス氏が大統領になると安全保障で閣僚級のポストが割り当てられる可能性がある。彼にとってみれば駐日大使は名誉ある仕事ではあるがワシントンDCの政治からは切り離された地方勤務のようなものである。
希望するポジションがあれば大胆にアピールするのがアメリカ流である。イスラエル寄りの姿勢を明確にしてアピールすることで本社(ワシントンDC)に呼び戻してもらうことを期待しているのではないか。
このため、今回の件について聞かれたホワイト・ハウスの報道官は「何も把握していない」と言っている。つまり彼自身の政治活動でありアメリカの外交政策には何も関係がないということだ。仮にホワイト・ハウスの意向であれば何らかの説明文は準備していただろう。
そもそもアメリカ合衆国の式典参加は「偽善」である。またG7の首脳も原爆被害には興味がない。岸田総理は被曝の実相を見てもらおうと資料館の訪問を計画したが各国ともに本館に入ることを拒否している。このため東館に展示物を移し「当たり障りのないもの」だけを見せて政治的に妥協した。この時にはカナダのトルドー首相だけが個人的に資料館を訪問し普通の訪問客が見るのと同じものを見ている。G7の加盟国は日本を除きすべてNATO加盟国でありアメリカの核の傘に依存している。
特に核のない世界を主張しノーベル平和賞を獲ってしまったオバマ大統領はその後広島への出席を余儀なくされた。ここで発言を間違えてしまうと「オバマは核の使用を謝罪した」と共和党から叩かれる可能性があったが、それでも体裁は一貫させなければならない。
その後、民主党政権が核の放棄に向けて動き出したというニュースはない。各国に核兵器の削減を求めている。そもそもアメリカは銃を持って自衛しなければならないと考える国であり、そのためには多少の重犯罪が起きたとしてもそれを必要悪と考える人たちが大勢いる。自分達がやられない限り全ては他人事である。
湯浅広島県知事は世界に向けて「自分の指の火脹れに大騒ぎするような気持ちで被爆者に向き合ったことがあるか?」と問うたが、アメリカ人にはその言葉は響かない。自分達が被害を受けなければ後は全て他人事と考えるのが普通のアメリカ人である。
アメリカ政治に熟達したエマニュエル氏はイスラエル系の支持が自分のポジションに結びつくと知っている。オバマ時代の「平和へのポーズ」と自分のポジションを天秤にかけた時に自分のポジションを優先したからと言ってそれを批判することは難しい。誰だって自分は可愛い。
我々が知っておくべきなのはアメリカ人の式典参加はその程度の動機に結びついているということを理解することだけである。またG7もNATOの核の傘に依存しておりアメリカの意向と核兵器保有の既得権から離れることは難しい。
長崎市長は表向きはパレスチナ抗議デモを避けるためと主張しているがその真意は不明である。ただ平和祈念式典の趣旨は戦争に無辜の市民が巻き込まれてはならないというものである。つまりガザ地区の住民たちと79年前に犠牲になった長崎市民を重ね合わせても何ら不思議ではない。政治的な意図はないと言っているが、そもそも核兵器の廃絶は十分に「政治的な運動」である。
中央では政府に忖度することが多いNHKだが広島では湯浅知事の発言に合わせてイスラエル大使の表情をクローズアップしていた。今回も次のように結んでいる。
9日の平和祈念式典は被爆者やその遺族の代表などが参列して行われることになっていて、このなかで鈴木市長が読み上げる平和宣言では中東情勢などにも被爆地・長崎として非常に強い危機感を示すことにしています。
イスラエル招待せず 長崎市長が8日に市の立場を改めて説明へ
岸田総理は個人的には核兵器廃絶には全く興味がなさそうだ。スピーチも使い回しのようだが、体裁だけは整えて長崎の式典には出席してほしいと思う。
だが南海トラフ地震注意報が出ており「東京で警戒にあたる」という言い訳を獲得してしまった。
総理大臣でいる限り演技だけでも続けるべきだろう。もう最低限の演技もできないならさっさとやめるべきだ。