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とにかく泉健太ではダメ 焦りを募らせる小沢一郎氏

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自民党で総裁選が行われる。今のところ(ほぼ)出馬表明をしているのは石破茂氏だけでどのような議論の対立軸が作られるのかはよくわかっていない。こうなるとマスコミは「誰が次の総理大臣になるのだろう」に夢中になり野党のことなど忘れてしまう。

そこで立憲民主党も代表選挙を9月末にぶつけることにした。メディアは小沢一郎氏の挙動に注目しているようだ。泉健太代表に「3年ももたもたと野党共闘路線が作れなかったのにあと一ヶ月でできるはずなどない」と現在の体制を批判した。これについて論評しようと思ったのだが、最初の時点でつまずいた。小沢一郎氏は政権交代については語っている。ではその政権が何を目指すのかについては一切触れていない。おそらくなにもないのだろう。だから論評できない。

では自民党に代わる新しい解決策は出てこないのか。試しにやってみることにした。これが意外と簡単なのだ。

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昭和時代のまだ若かった小沢一郎氏は「派閥中心の選挙をやっていては政策対話が進まない」と考えた。ただし政策対話と言っても社会主義者・共産主義者が主導する政策対話は許容できない。保守同士で政策対話を進めるためには小選挙区にすればアメリカやイギリスのような政策ベースの選挙戦が自ずと実現すると考え小選挙区制を導入することにした。

Wikipediaには当時の中曽根康弘氏の記事が出ている。もともと自民党の金丸信氏と社会党が「経営と労働者を巻き込んだ二大政党制を作る」という話が出発点だったようだ。紆余曲折を経て細川護熙氏を首班にした新しい政権が作られてゆく。社会党が入るのは構わないが「議論は保守が主導しなければならない」ということなのだろう。

小沢君一派は、それに乗じて一つのチャンスをつかんだわけです。金丸信君と社会党田邊誠さん、そして、経団連平岩外四さん、連合山岸章さんの四人が、二大政党をつくろうというわけで

Wikipedia 細川内閣(中曽根康弘『天地友情 五十年の戦後政治を語る』1996年、文芸春秋、p14~16)

ところが小沢一郎は左派が自分たちの意見を曲げないことが許容できなかった。政権運営は次第に迷走する。壊しやいっちゃんと言う渾名の通り左派とくっついて政権を獲得し左派と喧嘩するということを繰り返している。

むしろ考えるべきは「なぜ日本ではアメリカやイギリスのような政策ベースの話し合いが起こらないか」について考えたほうが良さそうだ。アメリカは多様な集団が混じり合って暮らしている国だ。このためそれぞれの集団が異なる考え方を持っている。これを織り合わせるのには長い時間がかかる。

ところが日本の政治のあり方はこれとは全く異なっている。そもそも「利害対立のある異なる集団」がない。単に「無党派層」と呼ばれる「国民」がいる。その数は世論調査によるとだいたい2/3になる。

ここまで考えてくると小沢一郎氏が当初二大政党制を目指したときと決定的に状況が変わっていることに気がつく。小沢氏が二大政党制を目指したときには経営者と労働者という塊があった。だが非正規雇用と退職者が増えたことでこうした塊まりはなくなりつつある。塊がないのだから二大政党制以前にそもそも「政党」が作れないということだ。

小沢一郎氏が考えるべきなのはおそらくここなのだ。つまり粒状化・砂状化した国民をどうまとめてゆくかと言う議論である。

この粒状化・砂状化した国民に一定の解決策を提示した政党がある。それが維新だ。政治家を敵とみなし有権者を固めることに成功した。

自民党が勝ちすぎると財政再建ばかりを優先し増税路線に走る。しかしながら自民党が「適当に負ければ」自民党は焦りを募らせて補助金で有権者を買収しようとする。だから「自民党が適当に負けるような投票行動を取るのがオトクですよ」というようなメッセージングだ。

大阪維新は「自民党はとにかくけしからん」と言うメッセージングで票を伸ばした。そして自民党がが負けると「無償化などの良いことがある」と強調した。確かに様々な「無償化」は実現したが万博の運営と兵庫県知事を巡る様々な事件が起き政党運営は行き詰まりつつある。維新の行き詰まりの原因は「彼らが正しいと証明し続けるためには絶えず砂状化した有権者になにかばらまき続ける必要がある」という持続性のなさだった。

危機感を強める吉村知事は「吉村知事が維新議員に厳命「かばうとかは絶対にダメ」斎藤元彦知事「パワハラ」「おねだり」疑惑」と焦りを募らせている。私物化知事を維新が支援してきたと言う実績は彼らにとっては決定的な減点要素になる。

高度経済成長期が終わると企業は従業員を家族だとはみなさなくなる。また地域からも離反した。例えば自動車産業は分厚いサプライヤーを持っており「この地域はトヨタやホンダやスズキ自動車に支えられている企業城下町である」というアイデンティティを持っている。だが、企業が地域を退出してしまうとこうしたアイデンティティも蒸発する。あとに残ったのは地縁もなければ企業との結びつきもないという「さまよえる無党派層」だ。高度経済成長期後の日本人は砂のような存在になった。

このように小沢一郎の焦りを分析すると構成する様々な集団が蒸発しあとに無党派層という砂だけが残ったまとまりのない国という問題が浮かび上がってくる。立憲民主党はこの砂漠化に対する回答を持たないままで昭和の夢に浸っていることがわかる。

では本当に自民党に代わるビジョンなど出せないのか。こんな事例を挙げて分析してみよう。

日本郵政は今「ユニバーサルサービスの維持」に苦労している。通信(郵便事業)と金融事業を全国展開することが負担になっている。少子高齢化が進行すると「物理的な拠点を全国津津浦浦に維持すること」は難しくなる。だが自民党は特定郵便局所長たちが支援しておりこの問題に解決策を導くことはできないだろう。

日本郵便株式会社法に基づく業務区分別の営業損益は、郵便物や印紙などの「第1号」が郵便物の減少などにより951億円の赤字で、貯金や為替などの「第2号」も手数料の減少などにより270億円の赤字。保険の「第3号」(78億円の黒字)、「ゆうぱっく」などの荷物や投資信託、がん保険、不動産といった、ユニバーサルサービス以外の「第4号」(1106億円の黒字)は利益を確保した。ただ、全4区分で22年度と比べ減益となり、合計では37億円の赤字だった。

日本郵便、郵便事業で2年連続赤字 896億円(毎日新聞)

この問題を解決するためには例えば「物理的な拠点をデジタルに置き換えてゆく」というアイディアがある。しかし高齢者の多い地方では何らかの支援なしにはデジタル化は実現しないだろう。まずデジタルを普及させそれを最も訴求させにくい高齢者にどうなじませてゆくかという視点から政策を作ることができる。もちろん少子高齢化を食い止めることは大切だが現実的な課題にも応えてゆかなければならない。

おそらく立憲民主党が自民党と異なる視点を持ちえないのは彼らの国家観が「誰もがなにかに所属していた」昭和的な意識を払拭できていないからなのではないかと感じる。

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