ざっくり解説 時々深掘り

再エネでも原子力発電所でも 政治にタカられる日本の消費者

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朝日新聞が「原発の建設費を電気料金に上乗せ、経産省が新制度検討 自由化に逆行」という記事を出している。朝日新聞の問題意識は「原発反対」なのだろうが政治の機能不全のほうが気になった。現在の政治は決めないことを通じて日本の消費者たちの負担を増やしていることがよくわかる。

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まず記事を読み進める前に朝日新聞の劣化ぶりについて解説する。タイトルは「自由化に逆行」となっている。つまり朝日新聞は自由化を推進したいのかという印象を持つ。ところが記事本文には「自由化によって建設費を確実に回収する手段かなくなった」とだけ書かれている。おそらくは原発建設反対派にクリックしてもらうための仕掛けなのであろう。「どうせ記事など読まないだろう」と朝日新聞が読者を侮っていることがわかると同時にネットの躍進を尻目に縮小する新聞の未来に対する焦りが感じられる。

春先に再エネ賦課金が注目された。再生可能エネルギーを普及させるために消費者が負担しているお金のことである。つまり消費者は再生可能エネルギーが増えても賦課金を支払い新しく原子力発電所を建てても新制度を通じてお金をむしり取られることになる。

今の政権のもとではどっちに転んでも負担が増えるのである。

では電力会社は儲けすぎているのか。そもそも今回新制度が作られる理由は「電力自由化によって建設費が賄えなくなった」からである。発電と送電の地域独占を残したまま小売だけを自由化したために中途半端な値下げしか達成できなかった。しかし、電力会社が発電施設を更新するために必要な資金も得られなくなっているということがわかる。

電力自由化を通じて政府は「政府のお陰で電力料金が安くなる」と大いに宣伝してきた。だが、実際には電力料金は安くならず「新しいご負担をお願いします」ということになってしまっている。岸田政権はもちろん総括などしない。結果はすべて民間に丸投げする。

電力自由化は安倍政権の支持獲得政策の一つだった。当時の安倍総理は次のようなことを言っている。

エネルギー政策は「いかなる事態においても国民生活や経済活動に支障がないよう、エネルギー需給の安定に万全を期すことが大前提」と説明。「電力システムの抜本的な改革に着手するとともにできる限り原発依存度を低減させていく方向で検討する」との方針を改めて示した。「2030年代に原発稼働ゼロを可能とするという前政権の方針はゼロベースで見直し、エネルギーの安定供給、エネルギーコスト低減の観点も含め、責任あるエネルギー政策を構築していく」と語った。

首相、電力自由化「関連法案提出できるよう準備始めている」(日経新聞)

では野党はどうだろうか。玉木雄一郎国民民主党代表は朝日新聞の見出しを批判している。

一つ一つ整理する。第一に玉木氏は朝日新聞のおそらくクリック目当てのタイトルに反応している。次に既存原発の温存を熱望する電力総連と再エネを左派的政策であると考える保守が自分たちを注目してくれることを狙っている。

現在立憲民主党と国民民主党の間には再統合の話が持ち上がっているが、玉木氏は左派を嫌悪しており蓮舫氏からブロックされているそうだ。共産党を運動に引き入れたことが敗因であると言い続けておりうんざりされたのだろう。つまり、彼の言っていることは政策ではなく「左派憎悪運動」になっている。これでは自民党に対抗する政治勢力などできないだろう。

そもそも日本には新しい原子力発電所を建てることができる場所などない。電力会社は今ある(遊んでいる)原子力発電所を再稼働させたいだけであって新設など考えていないだろう。

このようにこの話題を一つひとつ見てゆくと全く統合されていない状態で個別の議論が進んでいることがわかる。全体的に日本がどこに行たいのかが見えてこない。これを「議論が分離した状態」という。

ではなぜ日本の議論は分離してしまったのか。資本主義には2つのやり方がある。一つは市場に任せることで無駄をなくしてゆこうという市場主義だ。このやり方はアメリカ合衆国など一部でしか成功していない。前提になっているのは古くなった制度が淘汰されることである。つまり産業がなくなったり会社が潰れたりすることを容認する必要がある。日本はこのやり方を採用しなかった。おそらく企業がなくなることに耐えられなかったのだろう。「温情がない」と考えてしまうのだ、

日本の資本主義の源流はマルク流の計画経済にある。マルクスに学んだ岸信介などの革新官僚が満州を実験場として作り上げた国家体制で野口悠紀雄氏は「1940年体制」と言っている。まずは朝鮮有事と軽工業で稼ぐ。その金を一箇所に集めて官僚が太平洋ベルト地帯に集中投資することで迅速な経済復興を成し遂げた。さらに池田勇人の時代になると制度化が進み高度経済成長が達成される。

政治家の役割はこの高度経済成長の恩恵を地域に誘導する利権誘導だった。しかし、安倍総理の時代になると内閣人事局制度が作られ官僚の国家経営機能は完全に息の根を止められてしまった。

ここで「内閣人事局制度が悪い」「日本を官僚主導国家に戻すべきだ」などと主張するつもりはない。

だが、結果的に安倍政権では結局この官僚主導の国家経営を代替する機関は作られず(会議体はおそらくたくさんできたのであろうが)野党も官僚に代わる政党シンクタンクのようなものを作らなかった。選挙運動も個人商店の域を出ず政策の統合さえも行われなかった。安倍総理の選挙統治の無策ぶりは政治と金の問題を見れば明らかだろう。

結果的に脱法行為が蔓延し中にはスーツやサウナ代を不法と見られる所得で賄う議員も出てきた。だがおそらく選挙運動の個人商店化の最も大きな障害は選挙を通じて政策議論が行われないという点にあるのではないか。自由主義経済の前提である政策コンペが日本では機能しないのである。

結果的に国家経営の効率化が難しくなり「最終的にはすべて消費者に被ってもらおう」という不効率な国家経営がまかり通ることになってしまっている。

とはいえ国民には文句をいう以外の抵抗手段はない。子供を作らずできるだけ消費しないというのが唯一の抵抗手段である。つまり今の政府と国会の在り方を温存すると日本という国がどんどん縮小してしまうのである。

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