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「天皇陛下のお気持ち」に接して

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前代未聞と言われた「天皇陛下のお気持ち」を聞いていくつか感じたこと。
老齢になると自らと家族のことが心配になる。安心できないという意味ではとてもかわいそうに思えた。特に代替わりによって発生する自粛から世代交代の儀式がかなり負担になっていたのだなあと感じた。
一方、若い人たちにとって天皇というのは記号になっているのだなと思った。高齢者は自らを重ね合わせて語るのだが、平成生まれは「うちら平成生まれだから平成が終わるのは寂しい」くらいの感想しか持っていなかったようだ。天皇は時間を表す記号に過ぎず、その他のことは「うちらには関係がない」のだろう。ある人たちは、テレビで使われたフォント、背景の皿と石に関心が向かったようだ。高齢者が「陛下はお可哀想」と考えている間に「あの皿、高そうだなあ」と思っていたのだ。
昭和が終わる時、テレビでは「ご容態」報道が延々となされた。多分テレビ局は不敬と言われるのを恐れて横並びでああいう報道をしたのだと思うが、ご家族にとっては心労だったのだなあと感じた。今上でなければあれほどまでのことは起るまいと思われたのかもしれない。
ある時点で引退したいと考えて5年。秋篠宮様が「定年があってもいいのでは」とご発言になったがスルーされた。で、今回の放送となったわけだが、官邸側の対応は冷たい物だった。安倍首相は一言「重く受け止める」と述べただけで、ご心労に対する共鳴はなかった。つくづく冷たい人だなと感じた。他人というのはすべからく利用する存在であって、意思を持ってはならないのだろう。
今回のお気持ちの表明に関しては様々な思惑があったようだ。多分、宮内庁とNHKが事前に打ち合わせる段階で様々な情報が流れたのだろう。NHKはあたかも部外者であるかのような報道を繰り返したが「独自情報である」というような報道も行った。これはジャーナリズムの観点からきわめて問題が大きい。普段から「広報」と「報道」の区別がついていないのだろう。
もちろん広報が悪いわけではない。しかし意図が全く異なっているのだから明確に分けるべきだ。広報はある一定の意図を持って作られ、報道は中立の立場から客観性を持ったものだ。一般に現在の報道につながるものはイギリスなどから始まったとされるようだ。もともと政治団体の広報(パンフレット)しかなかったが、主に経済的な観点からより広い視野から状況判断をしたいという欲求があり報道が発明された。ジャーナリストは自らの地位を守りたいのであれば、今回の放送について批判的に検証すべきだろう。
ここまで大騒ぎになったのは「天皇は発言しない」ということになっているからだ。しかし、天皇は政治的な発言をしないだけで、個人としてのお気持ちを表明できないというわけではない。イギリスではエリザベス女王陛下が個人としてTwitterのアカウントを持っている。社会から孤立してしまわないためにも、若い皇族方からTwitterやインスタグラムを始めるのがいいのではないかと、割と真剣に思った。
「将来に不安がある」などとは誰も知らなかったわけで、世論が動きようもない。かといって皇室主導で法改正ができないところにジレンマがあるわけだから、小出しの情報発信は必要だと考えられる。
生前譲位は数多くの戦争の原因になっていた。数年前の大河ドラマ「平清盛」が記憶に残っている方もいらっしゃるかもしれない。しかし、現行憲法下では天皇には政治的権能がなくこうした問題は起こりえない。
一方で、天皇を元首に戻すとこうした問題が再燃することになる。だから改憲派にとっては大きな問題なのだろう。しかし天皇が元首になると主権は天皇にあるわけで法律も自分で決めてよいはずだ。立法府は単なる輔弼だ。であれば退位も自分で決めてよいことになる。現在の改憲派はその辺りを曖昧にしている。
イギリスは「国王が議会を主催する」ということになっており、国民主権ではないと考えられているとのことだ。自らが進んで法を遵守すると宣言することで結果的に政治家の暴走を防いでいるということになる。現在はEUの枠組みにあり、EUの定めた人権条項が国家主権に優越するとのことである。
ということで、生前退位について議論することは、国民主権と基本的人権についてのあり方にほぼ自動的に結びついてしまう。これを表立って議論することはほぼあり得ないだろうから、ご本人の不安を棚上げしたまま「議論しない」ということになるのだろうなあと思う。
これを延長していろいろ考えることはできるが、今回はそれは控えたい。「個人の不安」が今回のテーマだからだ。


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