尖閣諸島の接続水域に中国船が大挙して押し寄せた。欧米日は中国の海洋進出に異議を申し立てているので、その抗議のためと見られる。これに伴い右派が「憲法第九条だけでは日本は守れない」と大騒ぎをしている。実にこっけいなことだ。
脅威としては「追いつめられておなかがすいた狂犬」である北朝鮮のほうがよっぽど危ない。現在の日本の技術力は、移動式のミサイルを感知できない。核弾頭でも搭載されたら、その時点で「はい、おしまいよ」ということになるのだが、それについては何も言わない。まともに考えて行くと「日本も核武装を」ということになってしまうのだが「いやあ、それはアメリカが……」と恐くなってしまうのだろう。
さて、中国漁船の問題だが簡単に解決できる。用意するのは国会議員一名だ。国会議員を漁船に乗せて中国近海の領海付近に送り込む。数ヶ月「かすめるように」示威行為をしてから徐々に領海を審判するのである。中国は抗議すれば「じゃあ、尖閣にも来ないでね」ということになるだろう。それでこの話は終わりだ。
日本側が領海を侵犯すると、中国は「見逃すか」「捉えるか」の二者択一を迫られる。国会議員が捉えられたらしめたものだ。取引には応じずにそのまま放置して、日本側も漁民らを捕虜にすればいい。スタンダードが作られたことになる。もし国会議員が殺されたら(それもあり得ることではあるが)国際社会は一斉に中国を非難するだろう。だが、そのようなことはあるまい。
ここでお互いに「人質」が置かれることになる。すると、両国とも下手な動きには出られなくなるだろう。「人質」は国際秩序がなかった戦国時代の安全保障に似ている。日本人は「条約」のような紙に書かれたものはいっさい信用しなかった。そんなものは破ることが可能だからだ。しかし、関係性にはとてもうるさい。そこで人質が置かれたのだろう。
人質は丁寧に扱うことが肝要だ。国力の違いというか格の違いというものを見せつけつつ、日本の豊かな暮らしにも触れてもらおう。亡命まで結びつけたらしめたものである。日本は中国と違って私有財産を貯めたり(海外に隠す必要はない)土地を買ったりできるのだ。
人質がなぜ有効な手段だったのだろうか。それは「自分たちの挙動が自分や家族の命に関わる」からである。だからこそムダな殺し合いを避けるための保証になったのだ。現在は文民統制ということになっている。つまり「文民」は自分たちの血を流さずに、軍隊ですらない集団を自由にコントロールできる。かといって政治的責任を取る訳でもない。最終的には「アメリカがなんとかしてくれる」と思っているのだ。これは無責任体制であり、国防上きわめて危険だ。
第三者的な視点から客観的に状況を見ることができればよいのだが、その才能もない。安倍首相はことあるごとに「情報収集」という。情報はすでに上がっているはずで、いくら情報があっても判断ができないということを意味している。
そこで提案なのだが、この崇高な役割を稲田朋美防衛大臣に担って頂きたい。普段の言動から日本を愛しており、戦争は「魂の修養」であるなどと公言していらっしゃる。もちろん、魂の問題なのだから、北京から靖国神社に手をあわせるのは全くの自由である。毎日靖国の方角に礼拝してもらおう。さらに、稲田大臣が拉致されても、国内から奪還運動は起らないだろう。
うまく行けば「憲法第九条は戦争の抑止には役に立たなかったが、稲田大臣が身を挺して日本の平和を守った」と未来永劫語り継がれることになるだろう。もし仮に大臣の身に何かあったら、靖国に丁重にお祀りされるチャンスでもある。
この作戦の唯一の欠点は稲田大臣があっさり中国に寝返ることである。権力に寄り添って発現を変えているようなところがあるので、あっさりと共産主義に目覚めてしまうかもしれない。それ以外は完璧な計画だと思うがいかがだろうか。